2017年6月3日土曜日

過剰人口と高齢化(2):老人が働き、若者は引きこもり

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ロイター 2017年 06月 3日 08:06 JST 田巻 一彦
http://jp.reuters.com/article/column-senior-workers-idJPKBN18T0WV?sp=true

コラム:定年70歳へ法改正を、「一石三鳥」の活性化策

[東京 2日 ロイター] - 日本の社会全体や経済を活性化させるために、ある提案をしたい。
 それは定年を現行の60歳から70歳に、希望する人に雇用継続を認める年齢を65歳から75歳に引き上げ、高齢者と労働の関係を抜本的に改めることだ。

 同時に高齢者の賃金カットを抑制する法的保護を設け、「長生きリスク」を軽減する。
 結果として年金や保険の支出を削減できるだけでなく、人手不足の緩和にもつながると考える。

 高齢化で最先端を行く日本は、今後、急速に高齢化していく他の先進国や中国などアジア諸国の「先行指標」になる。
 「日本での実験」がうまく行けば、高齢者の生きがいが社会を変えるケースとして、大きな影響を広範囲に与えうる。  

■<長生きリスクと消費低迷>

 足元の日本経済では、不思議なことが起きている。
 輸出・生産は好調で、賃上げも小幅ながら実施され、日経平均.N225も2015年12月以来の2万円台回復となっているのに、個人消費がさえない。
 賃上げ幅が小さく、消費拡大につながっていないとの声や、年金制度の先行きなど将来不安が大きく、節約志向が広がっているなど、さまざまな要因が専門家から指摘されている。

 私は、年金で生活している高齢者の割合が増加し、その階層の消費性向が勤労者よりも低いため、消費全体の勢いを阻害しているという「仮説」を提示したい。

 今年4月の家計調査によると、勤労者世帯の消費性向は、実質で87.1%。これに対し、無職世帯(年金世帯)は69.2%と17.9ポイントも低い。
 さらにエンゲル係数は、実質で勤労者世帯が21.4%なのに対し、無職世帯は28.7%。年金世帯は必要な食費以外は、かなりの節約で対応していることが、このデータから垣間見える。
 一方、65歳以上の高齢者の割合は、2015年10月時点で26.7%と過去最高。2025年には30.1%に上昇すると推計されており、マクロ的にも無視できない「存在感」を示している。
 このまま年金世帯の割合が増加する一方なら、サラリーマンの賃金が小幅上昇する今のトレンドが継続したとしても、消費全体のパワーは、年々、減衰していくことが予見できる。

■<目指せ理想の高齢者ライフ>

 この閉塞した状況を打破する方策として、60歳定年、希望者は65歳まで働けるという現在の法的枠組みを修正し、70歳定年、75歳まで希望者は働けるというシステムに移行することを提案する。
 現在の「高年齢者雇用安定法」では、企業が定年を設定する場合、60歳を下回ることができないと明記されているが、これを70歳に引き上げ、65歳までの希望者全員の雇用継続を義務付けている部分を75歳までに修正する──という内容。

 継続勤務を希望する人への年金支給開始は、勤務終了時と年金関連法を修正すれば、多くの若年層が懸念する年金制度の持続性を高めることにも役立つ。

 会社で働く年数が長くなれば、生活設計をより組みやすくなり、年金だけで生活する時よりも、消費に回せるお金が増えることも容易に想像できる。

 さらに継続勤務で「やりがい」が実感できるなら、健康な生活を長期間継続する「理想の高齢者ライフ」に近づく可能性が高まるだろう。

■<欧州と比べ大幅な高齢者の賃金カット率>

 そのためには、もう1つの制度変更が必要になると考える。
 それは現在の企業で実施されている一定年齢に達した際の給与カットを大幅に緩和することだ。

 労働政策研究・研修機構の天瀬光二氏の調査(2014年3月)によると、日本は欧州各国と比べ、60歳以降の年収の減り方が極めて顕著になっている。

 29歳以下の生産労働者の年収を100とした場合、日本では50歳から59歳の年収は130。
 これが60歳以上になると92に急低下する。

 一方、ドイツでは50歳から59歳が146、60歳以上が134と低下カーブが緩やかで、同様にイタリアが124から117、スウェーデンが111から108と低下幅は日本と比べると小さい。

 また、米国では40歳以上の労働者について、年齢を理由にした就職差別を連邦法が禁じている。

「同一労働・同一賃金」は、日本政府も主張する政策となっているが、念頭にあるのは正規社員と非正規社員の格差是正。
 ここで視野を広げ、60歳以上の社員への大幅な賃金カットを抑制する法的な枠組みの設定も考えるべきだ。

■<利益剰余金375兆円の意味>

 企業からは労働コストの大幅増になり、経営を圧迫するという「ステレオタイプ」の批判は出てくると予想する。
 しかし、375兆円の利益剰余金を抱え、支払い余力はある。
 設備投資にも消極的であり、他に有効な使い道があるなら、自ら積極的に行動するべきだ。
 また、直近の人手不足の中で、特にIT関連の技術者は確保が難しく、66歳になったから継続雇用しないというのは、合理的な選択と言えないのではないか。

 日本の企業は、横並び意識が強い。
 大幅な制度改革は政府が音頭を取った方が、円滑に進む「国柄」のようなので、政府はぜひ、定年延長等の法改正の具体的な検討に入ってほしい。

 同時に人口減への対策をもっと大胆に打ち出してほしい。
 出生率の引き上げは、短期間ではできない。
 だからこそ、その間に高齢者の潜在力を引き出して、「右肩下がり」のトレンドを何とか横ばいから小幅でも上向きにする努力をするべきだと考える。

 つまらぬ考えの典型であろう。
 老人のけつをひっぱたいて働かしてどうする。
 老人が働けばその分、若者の雇用を奪う。
 だがその若者はニートとなり、引きこもっている。
 引きこもって食べていかれるのは、親があるいか家族がエサを与えているからである。
 老人がせっせと稼いで引きこもりをやしなってどうすんだ!
 まさに「バカの壁」である。
 バカなのは今の親である。
 若者はうまく立ち回っている。
 働かずに食っていかれればいいならこんなうまいことはない。
 昔、神様は人に労働という苦役を与えた。
 それを原罪という。
 原罪がない今の若者はパラダイスに生活しているようなものだ。
 まあ、子供を甘やかせて育てた親が、そのツケを自分自身で背負っている
と考えれば、辻褄は合う。
 働くことを学ばなかった若者が老いたとき、どうして生きていくのだろうと、心配する親がいる。
 こういうのはバカの厚壁だ。
 よく言われたようである「近頃の若者は!」っと。
 この言葉は取り下げたほうがいい。
 「近頃の親どもは!」
に変えるべきだ。
 上の論など読むと、ついにバカがここまできたかと思う。
 目先のつじつま合わせにのみ焦点があって、なぜがない。
 親がこうバカでは社会はもう漫才に近い。
 

東洋経済オンライン 2017年06月18日 塚田 紀史 :東洋経済 記者
http://toyokeizai.net/articles/-/175626

歴史は「25年ごと」に考えると見方が変わる
戦後、日本は3つの時代を生きてきた

★歴史の変化は25年単位で読み解け、
さらには150年単位、500年単位で大きな歴史を考えることができる

混迷を極める現代においても「歴史の尺度」を駆使すれば、日本や世界がたどる未来の道筋が見えてくるという。
『大予言 「歴史の尺度」が示す未来』を書いた東京大学大学院情報学環・学際情報学府の吉見俊哉教授は、時代は25年単位で読み解けると話す。

■「世代間隔」という人口学的要因

──時代は「歴史の尺度」で読み解けるのですか。
 歴史の変化は25年単位で読み解け、さらには150年単位、500年単位で大きな歴史を考えることができる。

──25年単位?
 近年でいえば、日本の歴史は
1].1945年から1970年までの25年、
2].1970年から1995年までの25年、
3].そして1995年以降
という3つの25年単位で流れてきた。
 戦後直後の1945年から1970年は「復興と成長の25年」、
 続く1970年から1995年までは「豊かさと安定の25年」、
 そして1995年以降は2020年までを「衰退と不安の25年」
と位置付けることができよう。
 それぞれの25年のまとまりには、その前後の25年と異なる傾向がはっきりとある。
 これはそれ以前についてもいえることだ。

──25年単位には人口学説の裏付けがあるのですね。
 少なくとも19世紀以降の日本の歴史の変化を25年単位でとらえることは、歴史事象の観察からそういえるだけでなく、有力な理論的根拠がある。
 「世代間隔」という人口学的要因だ。
 25年という年数はほぼ親子の世代間隔に相当する。
 女性が子を出産する際の年齢の平均値が、親世代と子世代の間の平均的な時間距離になる。
 この世代間隔は過去数百年を通じて25年から30年に収まってほとんど変化していない。

 人口は連続的に変化していくので、親子の世代間隔がほぼ25年になるのはどの年代に生まれた世代でも同じなのだが、大きな社会的事件、あるいは戦争や内乱のような「大きな死」とその後の「大きな生」との遭遇は連続的ではない。
 そしてその時代に生まれた一群の世代は、ある一定期間にわたり社会の動向を左右し、その後も一定期間、影響力を保持し続けることになる。

 ただし、今日の日本が陥り、アジア諸国がこれから陥る問題は、それまでの人口オーナス(重荷)に比べ、変化が大きいこと。
 短期間での急激な経済成長、寿命の著しい伸びによる高齢化などの理由が加わって、より深刻な問題を生んでいる。

――「時代と世代」は25年単位でとらえられるのですね。
 戦後の日本において、「政治」の季節といえる「60年安保」を担った世代の多くは1930年代後半生まれ。
 彼らより25年後の1960年前後に生まれた子世代は1970年代から1980年代にかけて「文化」の時代を担った。
 そして、その子世代の1980年代から1990年代にかけて生まれた世代は現在、20代半ばから30代初めにあり、日本経済の厳しい現実を前に、「経済」により大きな関心を向けているように見えるという、それぞれ特徴がある。

■長期波動は世代間隔と共振現象を起こす

──同時に長期波動に留意する必要もあると。
 25年はこのような公約数を媒介変数的に世代史と歴史の間に置くことで、ローカル的な世代的記憶と数百年単位の世界の歴史をつなぐことができる。

 25年単位のもう1つの根拠として政治経済学的な視点が説得力を持っている。
 資本主義経済はこれまで約25年の上昇局面と約25年の下降局面を持つ50年周期で循環してきたという「コンドラチェフの波」が裏付けになる。
 この学説の先見性にいち早く注目し、用語の命名者となったのがヨゼフ・シュンペーターだった。

 シュンペーターといえばイノベーション概念で有名だが、日本ではこの概念は過度に技術中心主義的に解釈されている。
 本来は社会の組み立て方の問題であって、いずれ飽和する運命にあるとの認識に立っていた。
 50年の周期となれば、革命や戦争、人口変化、国の政策や都市の発展といった諸々の歴史変化に結び付く。
 「波」は長期になるほど、社会構造そのものと関係してくる。

 実際、日本でもさかのぼって明治維新前後からの50年は、ものすごい変化だったし、
 現代が周期の渦中にある1970年から2020年に同じようなことが起こっているのかもしれない。
 長期波動は世代間隔と共振現象を起こす。

──150年、500年といったより超長期の「歴史の尺度」も用いるべきとも。
 非連続の中から構造を見極めるためだ。
 25年単位の波動の歴史がどのように数百年単位の構造に結び付いていくのか。
 フランスの歴史学者フェルナン・ブローデルが案内人になる。
 ブローデルの言葉を借りれば、
★.50年ごとに世界は生まれ変わり」、
★.構造は数百年単位の長い時間をかけてゆっくり変化する。
 ブローデルの見通しを理論化した米国の社会学者イマニュエル・ウォーラーステインは、むしろ地政学的な議論が主体だ。

──16世紀と21世紀に類似性があるのですね。
 500年も離れた2つの世紀に意外なほど多くの類似点がある。
 両世紀にグローバリゼーションと情報爆発という2つの大きな歴史的変化が生じる。
 16世紀のグローバリゼーションは大航海時代の形をとった。
 一方の情報爆発は、グーテンベルクの発明を端緒とした印刷革命に行き着く。
 活版の普及で知識や情報へのアクセスのしやすさが劇的に変化した。

 この両世紀をともに時代の「入り口」と位置付けたい。
 16世紀からの500年にはジェノバ、オランダ、英国、米国の四つの覇権国が、いずれも約150年の波動のサイクルで継起している。
 150年が取り持って近代の500年が形成されるわけだ。

──50年周期の3回あるいは10回の150年、500年。
 そう。
 ただし、4つの覇権国のサイクルは150~250年の幅を含んでいる。

■困難な過渡期のなかで

──では、足元からの日本の21世紀を見通すならば?
 足元の50年の後半期は、ここ20年近く次なるシステムに転換していく困難な過渡期にいる。
 それまでのシステムの有効性が失われ、個々の政治や産業の現場が劣化していく一方で、1990年代からのグローバリゼーションの進行を通じ、
 日本社会が根底から変容していく時代でもある。

──「大予言」はない?
 本書で目指しているのは大きな未来についての大胆な予測ではなく、未来についての歴史的思考を可能にする条件を示すことだ。

●吉見俊哉(よしみ しゅんや)/東京大学出版会理事長。1957年生まれ。東大大学院社会学研究科博士課程単位取得後退学。東大副学長、大学総合教育研究センター長などを歴任。専攻は社会学、文化研究、メディア研究。日本における文化社会学の発展で中心的な役割を果たす。

●大予言 「歴史の尺度」が示す未来 (集英社新書)









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