2017年2月15日水曜日

日本とは(5):労働力あまりがやってくる:どうするニッポン!

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 ものの四半世紀でインターネットが普及して、社会様相がガラリと変わった。
 同じことが、もう一度起こるかもしれない。
 ロボットがパワー労働力を、AIが知的労働力を奪う、ということだ。
 でなくても、人口過剰に苦しむ日本である。
 そしてロボット大好き民族である日本である。
 間違いなく、日本は過剰労働力に悩み、ブラック企業が肩を張る時代がやってきている
 あまりに余った労働力をどうするか。
 少子化に積極的に邁進するしかないが、少子化よりロボットのほうが歩みが速い。
 先進国では過剰人口という難題に取り組む時代に入ってきている。
 日本に突きつけられた大きな課題である。
 どうするニッポン!


JB Press 2017.2.13 安田 修
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/49114

人工知能に奪われない最後の2つの仕事とは
間違えて悩んで、
変化できるのが人間の強み

 人工知能とロボット。
 少し前までSFの世界のお話だったのですが、ここのところ急速に現実性を帯びてきましたね。
 将棋ではトッププロが人工知能(AI)に破れ、投資マネーは一斉にAIとロボットの分野に向かっています。
 今後10〜20年で人間の職業の約半分が奪われるという説もありますが、私もそれはそうだろうなと思います(参考:https://www.change-makers.jp/news/10602)。

◆人工知能とロボットができること、できないこと

 人工知能とは何かとかロボットとは何かを説明し始めると、本を何冊でも書ける量になるので省略しますが、もう「彼ら」にはできないことを考えた方がよいくらい、幅広いことができるようになりつつあります。
 単純作業はもちろん、一見複雑と思える仕事でも、こなすようになると予想されます。

 例えば、医療の現場で病状から病名を特定するくらいのことは、AIの方が下手な生身の医者よりも得意になるでしょう。
 私がいた金融の世界でも、企業価値を算出したりポートフォリオを組んだりというような仕事はむしろAI向きの仕事であり、銀行の窓口業務やスーパーのレジなども、早々に機械に置き換わるでしょう。

 かなりの部分の「判断」すら彼らで完結するようになり、
★.人間はせいぜい1名、
 機械の暴走を止めるための最終装置としてそこに存在する程度になるでしょう。
 かなり複雑な投資判断などの仕事であっても、AIが全ての情報と案を整えて、人間はGOのボタンを押すだけということになるでしょう。

◆少子高齢化で労働力が不足する?

「若者が減って労働力が不足する。
 日本は大量の移民を受け入れなくてはならない」
という論調がありますが、私はこれは的外れな話だと思います。
 もちろん一時的にそういうことは起こるかもしれませんが、少し長く時間軸を取れば、
 深刻なのは労働力の不足ではなく、むしろ正反対の人間の仕事がなくなることの方でしょう。

 単純作業や低スキルの仕事は真っ先にロボットやAIに置き換わって、大量の失業者が生まれ、そしてその動きは徐々に高スキルの職業、専門的と思われていた職業にまで及びます。
 非常に多岐にわたる分野で
 超一流でないと仕事を続けることは許されない、
 ある意味で厳しい時代はすぐそこまで来ている
と言えるでしょう。

◆人間に残された2つの仕事

 では人間に残された仕事は何があるのか。
 私は、2つしかないと思っています。
 それは、「イノベーション」と「コミュニケーション」です。
★.新しい価値を生み出すのか、
★.人と人とをつなげるのか、
それしかありません。
 それ以外の仕事は全て、時間の問題で機械に置き換わる
ことでしょう。

 言い方を変えると、これから先の時代に仕事を続けようと思ったら、イノベーションかコミュニケーションのどちらかに特化するしかないわけです。
 それ以外の人間は機械の奴隷とまでは言いませんが、実質的な価値を生み出す仕事をすることはできず、充実した人生を送ることは困難になることでしょう。

◆人は、ヒマになる

 しかし、そうやって職が失われて人間が飢え死にするかというと、そんなこともないと思います。
 ベーシックインカムのような仕組みが適用されて、大多数の人は「働かなくてもよくなる」のでしょう。
 先ほど、充実した人生を送ることは難しいと書きましたが、もしかしたらその中に何か生きがいを見出したりするのかもしれませんね。

何しろ、働かなくてよいので人はヒマになります。
 そうすると、ここにまた「仕事」が生まれます。
 アートやエンターテインメント、学習です。
 これらは、広い意味ではイノベーションとコミュニケーションに含まれるので、「2つしかない」という結論は変えませんが。
 ともかく、人生を少しでもよく生きようというニーズが高まります。

◆私がコミュニティを選んだ理由

 私はこんなことをぼんやりと考えて、コミュニティを生涯の仕事として選びました。
 金融も面白いけれど、続けていたらこれ、そのうち不要になるなと。
 歳をとって価値が高まる仕事でもないし、先がないなと。
 今までの人生はお金のことを学んできて、これからの人生は人のことを学ぼうと決めたんですね。

 絶え間なくイノベーションを生み出せる一部の天才を除けば、
 人間が機械に勝てる分野は、コミュニケーション以外なくなるからです。
 人と人をつなぐ仕組み、人を動かすスキル。
 そういうものを、これからヒマになるであろう大勢の人々に提供していこうと(笑)。
 「学ぶ」「教える」「つながる」
ということの価値が高まるだろうと。

 こうやって、自ら考えて変化できるということも、人間が機械より優秀な数少ない分野かもしれませんね。
 正確に反復することでは、絶対に彼らに勝てません。
 何度も間違えて、悩んで、意志を持って選ぶという「人間的な」部分で、これからの時代は勝負をしていかないといけないと思うわけです。

 それでは、また。
 人生計画で夢を目標に変えて実現する、シナジーブレインの安田修でした。



Record china配信日時:2017年2月20日(月) 6時40分
http://www.recordchina.co.jp/a159491.html

日本では労働力不足を補うため75歳からが高齢者に?
=「十数年後の中国を見たような気がする」―中国ネット

 2017年2月19日、中国の金融情報サイト匯通網が、日本では労働力不足を補うために、75歳から高齢者とすることを専門家が提案していると伝えた。

 日本老年学会と日本老年医学会は先月、65〜74歳は高齢者とみなすべきではなく、
 75歳から89歳を高齢者とし、90歳以上を超高齢者とすべきとの提言を発表した。

 専門家らは、医学的な観点からこの問題について討論したが、今のところ日本政府がこの提言を採用するかは分かっていない。
 だが、この提言を適用すると、日本の潜在的労働力数は100万人増加することになる。

 この提言をした専門家の1人は、栄養や医療保険、衛生面で、今の高齢者は昔よりずっと健康的であり、退職者としてしまうのは一種の浪費だと語ったという。

 記事は、
 「65歳を超えた人の多くが、今でも健康で活力に満ちており、お金をもらえるかどうかにかかわらず、仕事を通して社会貢献したいと考えている」
との68歳の高齢者の言葉を紹介した。

★.政府が行った400近くの60歳以上の人を対象にした調査でも、
 51%の人が自分は高齢者ではないと考えており、
 70歳以上を高齢者とする回答が最も多かった
という。

 記事はまた、日本は労働力の減少と福利厚生コストの上昇という圧力に面しており、日本政府も年金受給額を60歳から65歳にあげるなどしているとも伝えた。

 これに対し、中国のネットユーザーから、
 「なんだか十数年後の中国を見たような気がする」
 「終わった。中国も国際基準にするのだろう」
など、中国も高齢者の年齢を引き上げるのではないかとのコメントが多く寄せられた。

 また、
 「老人が仕事に行ったら子供の世話をする人がいなくなるじゃないか。
 お手伝いさんを頼んだら高いし、2人目を生んだママたちはみんな仕事を辞めろとでもいうのか?」
という意見もあったが、祖父母が子供の面倒を見るのが当然という風潮の中国ならではのコメントといえるだろう。



サーチナニュース 2017-03-04 14:12
http://news.searchina.net/id/1630564?page=1

中国人は日本に移民したい?
「もし自分が日本人なら・・・」=中国

 中国では富裕層が欧米諸国に移民するケースが増えている。
 米国やカナダ、オーストラリアが人気の移民先のようだ。
 移民の目的は人それぞれだが、共通しているのは中国より暮らしやすい国で生活したいという願望であろう。

 日本は永住権を取得するためのハードルが他国に比べて高いのが現状で、実際に日本に移民する中国人は多くはない。
 日本に移民したい、あるいは日本で暮らしたいという中国人の声は少なくないが、中国メディアの今日頭条はこのほど、日本が直面する数々の難題を挙げ、
 「もし自分が日本人だったら、日本に住み続けることを選択しない」
と伝える記事を掲載した。

 記事はまず、日本が直面している問題は「構造的問題」であり、短期間で容易に解決できるものではないと指摘し、その例として
 「少子高齢化」
 「生産年齢人口の減少」
を挙げた。
 総務省が2016年に発表した統計によれば、「日本の高齢者人口は3461万人、総人口に占める割合は27.3%」に達し、ともに過去最高となっている。

 こうした構造的な問題は日本経済の先細りを意味することを伝えつつ、
 「人口はその国の経済と国民の命運を左右する」
にもかかわらず、日本の人口は減少の一途を辿っていると指摘。
 日本国内の消費が今後大きく拡大することはなく、人口が増えていかない限りはこの流れは変えることができないと指摘した。

 さらに、日本が少子高齢化問題を認識してから非常に長い時間が経過しているが、有効な対策をまったく打ち出せていないことを指摘し、「日本は凡庸な国に成り下がりつつある」と指摘。
 日本経済が今後大きく発展する可能性は極めて小さく、日本で暮らしても「年を追うごとに豊かになる」ようなことは期待できないと主張。
 中国人が成功を求めて移民する場合、日本には将来性がないとし、
 「むしろ自分が日本人だったら、先行きが暗い日本からの逃亡を選ぶだろう」
と論じた。

 日本が少子化に本格的に取り組まないのは、人口数が成長をもたらす時代はすぎ、
過剰になった人口をどう減じていくかという歴史に入っている
ことを示している。
 成長一途の経済でしかモノを見ないと上のようなトンチンカンな答えが出てくる。


東洋経済オンライン 2017年03月06日 土居 丈朗 :慶應義塾大学 経済学部教授
http://toyokeizai.net/articles/-/161318

将来推計人口の怪、甘い出生率予測は禁物だ
公的年金に必要な指標の公表が遅れている

今年1月にも公表されると見込まれていた、わが国の将来の人口予測が、3月に入ってもまだ公表されていない。
裏で何があったのか。

この人口予測は、
●国立社会保障・人口問題研究所(社人研)が5年に1度作成する「将来推計人口」
http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Mainmenu.asp
である。
 将来推計人口を作成する主たる目的は、公的年金の財政見通しを計算することである。
 本連載記事「年金は、本当に『100年安心』なのか」でも詳述したが、公的年金制度では、5年に1度、おおむね100年間にわたる公的年金の収支見通しを作成し、年金財政の健全性を検証することと法定されており、「年金の財政検証」とも呼ばれる。

■年金の財政検証に不可欠な人口予測

 年金の財政検証は、前回は2014年に実施され、次回は2019年に予定されている。
 年金の収支見通しは、今の若年世代が高齢者になる2060年や2070年に、若年世代の人口がどれぐらいになるかがわからなければ作成できない。
 だから、年金の財政検証には、人口予測が不可欠である。

 人口を正確に予測するには足元の人口の把握が欠かせない。
 これまた5年に1度、国勢調査が行われ、その集計結果を受けて将来推計人口は作成される。
 これまでの将来推計人口は、国勢調査が行われた翌々年の1月ごろに公表されていた。
 2014年の年金の財政検証に用いられた将来推計人口は、2012年1月に公表された。
 それ以前は2006年12月、2002年1月、1997年1月と、ほぼ定まったスケジュールで公表されていた。

 社人研の将来推計人口は、経済環境の変化などは考慮せず、人口学的なロジックで作成されている。
 つまり、景気動向を問わず、性別や年齢の構成、出生率や生存率などが過去にどう推移してきたかを踏まえた推計である。
 景気がよいと子育て世帯に経済的余力が増して出生率が上がるとか、景気が悪いと貧困率が上がって子どもの生存率が下がるとかいうようなことは考慮しない。
 要するに、将来推計人口を作成する際に、将来の経済動向を綿密に分析する必要はない。

 今回の将来推計人口も、今年の1月あたりに公表されるものと思われていた。
 1月末に、いくつかの報道機関が今回の将来推計人口について報じていた。
 これらによると、出生率(厳密にいえば、合計特殊出生率)の将来見通しについて、前回の2012年の推計では1.35としていたものが、2065年に1.4台前半程度になると予測しているという。
 これは、2015年の出生率が1.45だったことを受けてのことという。

 出生率が上がると人口減少のペースも緩やかになるのは当然である。
 総人口が1億人を割る年を、前回の推計では「2048年」と予測していたが、
 今回の推計では「2053年ごろ」と、5年遅くなると報じられた。
 これには、今回の推計の前提となる2015年の国勢調査の人口が、前回2012年に推計した2015年の人口予測を上回ったことも影響しているとみられる。
 ちなみに筆者は、報道以上の情報を持ち合わせていない。

 今回の将来推計人口は、2月上旬に公表と記事で示唆するものまであった。
 報道は総じて中立的で、公表される予定の数字をそのまま報じており、特段の論評はなかった。

■「1.4台の出生率を見込んで大丈夫か」

 しかし、2月上旬どころか、2月内にも結局公表されなかった。
 厚生労働相の諮問機関である社会保障審議会人口部会が開催されて、新たに作成した将来推計人口が、その会合の場でお披露目となる。
 この会合は通常、報道関係者も会場にて傍聴できるようにしているため、開催の約1週間前には厚生労働省のウェブサイトに案内が出る。
 3月3日現在で開催案内が出ていないのは、まだ新たな将来推計人口の公表予定が立っていないということだ。

 新たな将来推計人口の報道が出た直後、筆者が親しくしている経済学者の間では、「政府は出生率をそんなに高く見込んで大丈夫なのか」との疑問の声が支配的だった。
 出生率を高めに見込むと、年金財政の予測は楽観的になるからだ。
現に、人口予測のメインシナリオ(中位推計)で仮定した出生率が結果的に高めだったために、予測が外れた過去がある。
 人口推計上仮定した(大まかにいえば、将来到達する)出生率は、1986年推計では2.0前後、1992年推計では1.80、1997年推計では1.61と、いずれも実績より高いものだった。
 そして、推計を重ねるごとに、仮定する出生率を下げていった。

 これは、公的年金の見通しにも悪影響を及ぼした。

 出生率を高く見込むと、将来の若年世代人口がより多くいると見込むことになる。
 これにより、将来における年金保険料収入もより多くなると見込まれるため、将来において年金給付をより多くできるとか、保険料をあまり引き上げずに済むといった形で公的年金の見通しが出ることになる。
 これが実態と合っていれば問題はない。

■楽観的な人口予測が外れると代償は大きい

 しかし、前述のように、5年ごとに人口推計を更新するたびに、仮定する出生率を実態に合わせて下げる結果となった。
 これに伴い5年ごとに公的年金の見通しを示すたびに、将来の若年人口はより少なくなるとの予測となり、将来における年金保険料収入は前回推計時よりも少なくなると見込まれた。
 結果的に、将来における年金給付は前回推計より少なくなったり、保険料がより高くなったりするという見通しを、国民に示す羽目になった(もちろん、公的年金の見通しには、人口予測以外の要因も影響するが)。
 これでは、人口予測など詳しい背景を知らずに、公的年金の見通し結果だけを見た国民が、年を追うごとに公的年金の状況は悪化していると不安を抱いても何ら不思議ではない。

 これが経済学者の抱いた既視感だった。
 公的年金の見通しは人口予測だけで決まるわけではないが、楽観的な人口予測が外れたときの代償は大きい。
 それは、1997年までの将来人口推計で経験したはずだった。

 おまけに、政権が公的年金の抜本的な改革に消極的なら、人口予測を楽観的にしたい誘惑が出てこよう。

 今の法律では、所得代替率(受給開始時の年金額がその時点の現役世代の所得に対してどの程度の割合かを示す)が50%を下回ると、何らかの年金改革に着手することがうたわれている。
 このことは、本連載記事「年金『世代間の公平』をめぐる与野党の攻防」でも触れた。

 所得代替率が50%を下回ったからといって、私たちの老後の生活がひどく困窮するというわけではない。
 しかし、政権としては50%を下回るような公的年金の見通し(年金の財政検証の結果)が示されれば、現行制度を放置するわけにはいかず、それなりの年金改革に着手しなければならない。
 こうした年金改革は、皆が得をするという話になるはずはなく、政治的な説得に相当な労力が必要な内容となろう。

 もし、政権が抜本的な公的年金改革に政治的な労力を割きたくないと思っているなら、2019年に予定されている年金の次回の財政検証で、メインシナリオにおいて所得代替率が50%を下回らない結果を出して、抜本改革は不要との結論を得たい、と思うかもしれない。

 所得代替率が50%を下回らない結果を出す「コツ」は、いたって単純だ。
 経済成長率を高めに見積もるとか、出生率を高めに見込むとかである。

■適切な想定に基づく公的年金の見通しの堅持を

 国民は、適切な想定に基づく公的年金の見通しを、政府が示すことを望んでいる。
 幸いというべきか、2002年以降の人口推計で仮定した出生率は、2002年推計では1.39、2006年推計では1.26、2012年推計では1.34で、メインシナリオ(中位推計)が実態とかなり合っていた。
 2012年の将来推計人口を踏まえて出された2014年の年金の財政検証は、本連載記事「年金は、本当に『100年安心』なのか」で詳述したように、将来の経済成長率を保守的に見積もった場合には本質的な年金制度改革の必要性が浮き彫りになる検証結果を示した。

 将来人口推計の作成を、回を重ねるごとに精緻化していったために、推計作業が複雑になり、マンパワー不足も重なって、まだ公表できないというのが実情のようである。
 今回の将来人口推計も、適切な想定に基づく公的年金の見通しに資することを願う。 



Record china配信日時:2017年3月11日(土) 7時10分
http://www.recordchina.co.jp/b171797-s0-c30.html

「長寿大国」だからこそ!
日本が抱える3つの大きな悩みとは?―中国メディア

 2017年3月9日、華字紙・日本新華僑報の編集長を務める蒋豊(ジアン・フォン)氏は、長寿大国として知られる日本が抱える大きな悩みを指摘する評論文を掲載した。

 蒋氏はまず「国民の寿命が延びるのは、本来国や民族にとって良いことである」として、
★.「自然環境の豊かさ、社会の充実、健康的な食生活、優れた医療保障など、日本を対外的にPRするうえでの好材料となる」
★.「高齢者介護という新たな産業の発展、介護分野の輸出促進になる」
という2つのメリットを挙げた。

 その一方で、長寿大国ゆえに直面する問題点も3つ指摘。
★.1点目は高齢化によって人口バランスがさらに崩れ、労働力不足の問題を抱える日本社会の負担がより一層重くなることだ。 

★.2点目に示したのは「社会の分裂の激化」。
 有権者における高齢者の比率が高まることで、政権安定を狙う政府はおのずと高齢者向けの政策にウエートを置くようになり、高齢者は手厚い福利を受け、若者が苦しむ状況がより深刻になると説明している。 

★.3点目には高齢者の事故、犯罪増加に対する懸念を挙げ、
「もし日本政府が有効な政策を打ち出せなければ、見た目は健康でも心にリスクを抱える高齢者層の増加を招き、高齢者の犯罪が日本社会にとって新たな害となるかもしれない
と論じた。

 文章は最後に
 「長寿ゆえの悩みはとどのつまり、
 政府が時代に順応した良策を出せないことに起因する。
 これは他国が参考するに値する問題だ」
と結んでいる。



Wedge 2017年3月11日 山口亮子 (ジャーナリスト)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9074

農業の破壊的イノベーションを日本から
『日本発「ロボットAI農業」の凄い未来』
窪田新之助氏インタビュー


● 日本発「ロボットAI農業」の凄い未来 2020年に激変する国土・GDP・生活 (講談社+α新書)

収益性、生産性の低さから非効率の極みのように言われる日本農業。
  ハイテク技術から最も遠い存在と決めつけがちだが、講談社+α新書の『日本発「ロボットAI農業」の凄い未来』はそんな思い込みを真っ向から否定する。
 日本農業はこれから一大変革期を迎え、AI(人工知能)やビッグデータ、IoTといった最先端技術を駆使した新しい形に生まれ変わるというのだ。著者で農業ジャーナリストの窪田新之助さんに聞いた。

――人が行ってきた仕事をロボットやAI、IoTが代わりに果たしていく次世代の農業を「ロボットAI農業」と定義していますね。
 ロボットやAIといった先端技術と農業が結びつくということを、どういうきっかけで知ったのですか。
窪田:
 ロボットの農業分野での活用が始まったのはずいぶん古く、私が初めて見たのは2006年ごろ。
 まだ記者になって間もないころで、つくば市の今の農研機構の中央農業研究センターに行って、無人の田植え機が田植えをする実証実験を見たんです。
 その時は
 「なんて実現性のない実験だろう、研究者のための研究なんじゃないの」
という印象だった。
 自動運転の精度が低くて、かなり蛇行して走っていた。
 当時はまさかその技術がここまでレベルアップするとは思わなかった。

 以来ずっと農業の取材をしてきたけれど、ロボットの取材なんて全然しなかった。
 そもそも、ロボットというものが農業の中で本流だとは考えなかった。
 コスト低減や生産性の向上という課題に対して、コメなら収量の多い多収品種、田植えをしないで直接種をまく直播など、技術的にはほぼそういう対処法で片づけられてきた。
 あるいは政策的に米価を上げて高コストでもやっていけるようにするというような話に終始してきた。これまで農業界はずっとそれでよかった。

 それなのに、なぜここにきてロボットやAIが注目されているかというと、
 日本では生産人口の大幅な減少
という事態がやってくるのが目に見えている。
 中でも特に農業は、大勢の人が一気にやめていく大量離農の時代がもう目の前に迫っている。
 たくさんの農家がやめていく中で、それを補うどういうものがあるかと考え始めたということです。

 3年ほど前から農業分野でのロボット活用の取材をするようになった。
 「日本再興戦略」改訂2014(2014年6月閣議決定)でも「ロボットによる新たな産業革命」というロボット戦略が出てきていたでしょう。
 ロボットが国家的にも注目され始めてきたころで、農業分野でこれまでずっとあまり注目されない研究だったロボットが、ここにきて表に出てくるようになった。
 自動運転も田植え機だけでなくトラクター、コンバインなどで一斉に実証実験の現場を披露するようになって、そういうものを久しぶりに見て、ずいぶん精度が上がってきたなというふうに感じたんですね。

――執筆の原動力になった、目を見開かされた事例というのがあるんでしょうか。
窪田:
 ITベンチャーのオプティムの開発した農業用ドローンでしょうね。
 農業分野でディープラーニングを初めて導入した事例です。
 ロボットは人体に例えたら体で、脳がAI。
 2012年にディープラーニングによるAIの発展におけるブレークスルーがあって、それまで人が教え込んだことしか実行できなかったのが、ディープラーニングで自ら学習し、データをどんどん取り込めば、情報の中から自ら答えを導き出せるようになった。
 ただ、人間のような総合能力はないから、専門的な分野、特定の分野に限定されるけれども、自ら答えを出すことができるようになったのが非常に大きい。

 特定の分野の仕事においてはロボットが人に成り替わる時代がやってきた。
 それを象徴するのがオプティムの農薬を散布するドローン。
 大豆の畑を見て回って、害虫を見つけ出してピンポイントで農薬をまいて退治すると。
 ディープラーニングを使って農薬がまけるということは、ほかにもいろんなことができるようになるということなんですね。
 その秘められた可能性を目の当たりにして、こんな時代が来ているんだなと驚かされた。

――ロボットAI農業の可能性をそこで確信したと。
窪田:
 第4次産業革命という大きな流れがあって、それが農業の中でどれだけのインパクトを持つのか取材していたわけだけれど、あれを見てインパクトの大きさを心底感じた。
 あらゆるものがインターネットにつながって勝手に動くのがIoTの世界。
 ただ、オプティムのドローンを目にする前はその可能性を狭くしか捉えられていなかった。

 たとえばIoTセンサーが田んぼに設置してあって、人間があらかじめ設定しておいた水位に合わせて、水門が自動で開閉するようになり得るというのは、なんとなくわかる。
 だけれども可能性はそこで終わらなくて、もっとモノが自ら意思を持ったように動き始めるところまで行けるんだと。
 オプティムのドローンからは、ロボットが自ら学んで自ら行動していくということの入り口を示してくれたという印象を受けたんです。

――農業とロボット、AIは一番縁遠い世界というイメージがあります。
 そうではなくて、逆に農業とこうした技術は強力に結びつくと主張していますね。
 これはなぜなんでしょう。
窪田:
 まず日本の農業は他の産業と比べて圧倒的に高齢化していて、農家がこれから一気にやめていく。
 日本農業はこれからろくに生産できないという事態にも陥りかねない。
 その危機においてこそ、まさに新しいものの入り込む余地が生まれるわけで、農業サイドからそういうテクノロジーが求められるようになると考えているんです。

 国内におけるAI研究の第一人者に東京大学の松尾豊特任准教授がいますが、整然と並んでいるものよりもサクランボのような整然としていないものを収穫するようなことにおいてこそ、ディープラーニングは強みを発揮すると言っているんです。
 工場のラインが整然としていてどの土地に持って行っても工程が変わらないのに対して、農業の現場は場所によって環境が違うし、農家のやり方も違う。
 そういう中でもすべてを認識し、自動化できると。
 面白い世界がやって来るんだなと感じますよね。

――ロボットAI農業の普及するめど、たとえば大規模農家ならそこそこ使っているというようなレベルになるのはいつごろでしょう。
窪田:
 それは地域によってだいぶ違うと思う。
 まず一番早く普及するのは北海道であり、北海道の中でも十勝地方とか、空知地方の岩見沢市でしょう。
★.理由の一つは、GPS基地局を自治体がきちんと整備していて、自動化できる下地がある。
 GPSがないと設定した経路を正確に走れないですから。
★.もう一つの理由は、北海道のスケールが他府県と全然違うから、ロボットAIを導入した時の効果が非常に高いこと。

 次はどこだろう……。
 統計的にみると、2020年の担い手農家の面積は中国地方なんかがすごく大きくなると推計されている。
 単純に人がいなくて、担い手当たりの面積が激増すると。
 ああいうところで大規模に農地が出てきたら、耕作できる人なんてほとんどいないんだから、特定の担い手に対して政策が集中する可能性はある。
 そうなると、意外に合理的なアグリテック(農業と先端技術を融合した取り組み)が入りやすい地域になるのかもしれない。
 今は遅れているようなところだけれど。
 もちろん中山間地は別ですが。

――本書の冒頭に近未来の農業のイメージが出てきますね。
 除草用ルンバが草刈りをしていて、無人のトラクターが水田を走っていて、ドローンが上空から稲の生育状況を調べていると。
 農家はクーラーの効いた部屋から作業を遠隔で監視すればいいという未来予想図ですね。
 近い将来に、そういうことが実際あり得るんでしょうか。
窪田:あり得るでしょう。
 企業はこれをやろうとしていますから。
 たとえばある農業コンサルを手掛ける会社は今年から、集落のあらゆる除草をロボットに任せられるような仕組みをつくると言っている。

――そうなると農家って、これまでとやることが全然変わってくる。
窪田:
 全体とは言わないけれども、大層はそうなるでしょう。
 大層の農家にとって、経営の質は多少なりとも変わっていく。

 今年に入って北海道の根室地方の別海町に行ったんですが、搾乳ロボットを使っている酪農家がいた。
 糞尿処理も、餌やりもすべてロボットで、それまで家族経営で4人が酪農に携わっていたけれども、経営者1人でよくなって、労働力が4分の1ですむようになった。
 しかも自動化によって搾乳の回数を従来の2回から4、5回に増やせた。
 加えて搾乳した生乳を即座に成分分析して最適なエサを与えるようにするから、搾乳量がこれまでの2、3割増しになった。
 そういう意味で、生産効率の向上は4倍どころではない。

 ただ、単純に搾乳量が増えたから終わりではない。
 ロボットを入れたのは、次の経営を考えてのこと。
 畜産業界は全体的に大規模化の流れにあって、家族経営で現状の規模のままだと、より大きな経営体に合理性では負けちゃうんじゃないかと。
 だから頭数を増やしたいけれど、田舎だから人がいなくて人手を増やせない。それでロボットを入れた。

 これから頭数を増やしていくことを計画しているんだけれど、話はそれだけでは終わらない。
 生乳生産だけでいいのかと。
 リスク分散させるんだったら、加工でチーズをつくったりしないといけないんじゃないかと。
 でも時間がないと、そういう計画が考えられないわけだ。
 これからの大量離農、地方から人がいなくなるという大きな流れの中で、次の経営をどうするかと。
 それを考える余裕をつくるために、この酪農家はロボットを入れた。

 日本の農業って生産性がものすごく低い。
 ただここにきて、それを国際水準に、あるいはそれ以上にしようという成長産業化の流れがある。
 大量に農家がやめていくことで、急に大転換が来てしまっているわけで、それに対する一つの答えがロボットとかAIだということ。

 もうひとつは食の多様化、価値の多様化が起きている。
 もともと人間はおなかを満たすために食べていた。
 でも今は一日当たりの摂取カロリーが終戦直後よりも低くなっている。
 おなかを満たすという欲求の後に来たのが、味の追求だった。
 それでも満足できなくて、健康だとか、あるいは自分のライフスタイルや考え方に合わせたオーガニックにしたり、ベジタリアンにしたりと。
 そういう多様な価値にどう遡及していくかという課題がある。

 今までのようにこれは安心安全ですと言うだけでは全くダメ。
 具体的にどれだけ安全なのか、あるいはどれだけ健康に役立つかということのエビデンスをきちんと示していかないといけない時代に入っているわけです。
 アグリテックというのは、基本的にデータをとっていくものだから、それ自体がエビデンスになる。
 だから、そういう意味においてもアグリテックがこれから求められてくるんじゃないのと。

 農業って、分け方がいろいろあるだろうけれど、モノの農業とコトの農業があると考えられるじゃないですか。
 モノの農業っていうのは大量生産、大量出荷、大量消費。
 どんどん生産効率を上げてたくさん作っていく。
 コトの農業は、いろんな価値に遡及し得るものをつくっていくと。
 いずれにおいても、これからロボットAIの活用というのが求められてくる。

――アグリテックは世界中で広がりつつあるようですが、日本発「ロボットAI農業」の優位性というのはどこにあるんでしょうか。
窪田:
 日本は高齢化で農業生産の継続がかなり厳しいわけです。
 それに加えてマーケットである消費者も高齢化している。
 だから、生産性の向上と価値に遡及する農業づくりということにおいて、もう環境が整っているわけですね。
 そのことを日本農業の関係者たちがよく理解して、このロボットAI農業のスタイル、やり方っていうのを日本で作ってしまう。
 そしてその手法を海外に輸出して、広めていこうという話なんです。

 一言でいえば、ピンチだからこそチャンスということ。
 ピンチをチャンスに変えて、日本がロボットAI農業でリーダーシップを握ろうと。
 そういう思いで書いた本です。



JB press 2017.3.24 篠原 信
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/49458

AI時代の大問題、
労働のない社会は成立するのか?
カギは「分配」のデザイン

 この先、どのような社会が待ち受けているのだろうか。
 JBpressの記事「人工知能に奪われない最後の2つの仕事とは」にショックを受けた人は多いのではないか。
 なにせ「人間に残される仕事はイノベーションとコミュニケーションの2つしかない」というのだから。
 もしその仕事に就けなかったとしたら、失業者になってしまうということになる。

 今の漫才師を見ても、売れるのは一握り。
 売れ続けるのは奇跡。
 コミュニケーションで食べていこうとしても、漫才師と同様、食べていくのは相当に難しいだろう。
 イノベーションにしたって、現時点でも成功者は一握り。
 つまり、「ほとんどの人が失業する」というご託宣を受けた印象だ。

■失業者だらけの社会は成り立つか

 そこでふと、不思議に思う。
 ほとんどの人が失業した社会って、本当に成立するのだろうか?

 ドローンが運送業をするようになり、自動運転でタクシーの運転手も要らなくなり、多くの企業で人工知能やロボットが働いて人がいなくなり、失業者だらけの社会。

 失業者にはお金がない。
 お金がないから買えない。
 せっかく自動化して商品をこれまでになく安く提供できるようになっても、その安い商品さえ購入できない人ばかり。
 すると、その自動化システムを維持するだけの売り上げも確保できないのではないか。

 コストカットしようとして雇用を減らしたら、商品を買ってくれるはずのお客さんもいなくなるという皮肉。
 自動化社会は、もしかしたら自滅システムなのかもしれない。

 お金持ちは買い物を続けられるかもしれない。
 だが、お金持ちは数が少ない。
 巨大化したネットショップを維持できるほどの売り上げが可能だろうか?
 お金持ちはお金をあまり使わないからお金持ちなのだ。
 ということは、結局、自動化社会は崩壊してしまいかねない。

巨大化した自動化社会を維持するには、大量の消費者が必要だ。
 しかし、消費者にお金を分配する根拠の「労働」は、自動化社会では失われてしまう。
 つまり、自動化すると労働者がいらなくなり、ひいては消費者が消えてしまう。
 自動化社会は、儲けを増やそうとしたらお客さんをなくすという妙な矛盾を抱えたシステムだと言える。

 ならば、「労働」していなくてもお金を配る仕組みを作らざるを得なくなるだろう。
 働いているかどうかを問わず、一定のお金を配り、みなさんに消費を続けてもらう。
 ベーシックインカムというやつだ。
 お金を渡す条件が「労働する義務」から「消費する義務」に変わるという、現在の私たちにはちょっと想像のつかない大転換となる。

 だが、これには投資家が大反発するだろう。
 「なんで働きもしない人間に金を渡すんだ! 
 その原資は、俺たちの税金だろう? 
 怠け者に渡す金なんてない!」。
 まあ、これまでの常識に照らせば全くその通り。
 働かざる者食うべからず、と言われてきたのだから。

 しかし、そんな話になるほど自動化が進むのだとしたら、農業も非常に少人数で行われる産業になるだろう。
 戦前は人口の半分以上が農家で、食糧生産を支えたが、今や先進国では1~2%の農業人口で食糧を生産している。
 かつては農家1人が2人分の食糧を作っていたのだが、現在は100人分の食糧を作る時代なのだ。

 これからはもしかしたら、1人の農業従事者が1000人分の食糧を作る時代になるかもしれない。
 しかし大量の食糧を作っても、それを購入できる購買力のある消費者がいなくなる時代が来たとしたら、いったい何のために食糧を作るのだろうか?

■「分配」が社会を運営する基礎

食糧問題の視点から見ると、「分配」という考え方はカギになる。

 江戸時代に大量の餓死者を出した大飢饉でも、実は「分配」さえ完全に機能すれば餓死者を出さずに済んだと言われている。
 凶作でコメが高く売れるとみた投機家が市場にコメを出そうとせず、食糧確保に失敗した藩で大量の餓死者が発生したのが実態だった。
 もし余裕のある藩がコメを供出していたら、餓死者は発生せずに済んだろう。

 食糧危機は、食糧生産の絶対量の不足で起きるというより、分配がうまく機能しないことによって起きるのだ。
これまでの経済システムは、「労働」を分配の条件としてきた。
 しかし人工知能が労働を消してしまったら、分配不全による食糧危機が発生する恐れがある。

 糖尿病で足を切断せざるを得なくなる場合と似ている。
 十分な栄養を口から採っても、病気で足の先に血がめぐらないと切断せざるを得なくなることがある。
 逆に血流がよいのなら、食事の量が少々不足気味でも長期間健康を保つことはできる。
 しかし血流が悪くなれば手足が壊死し、内臓が機能不全になり、ついには命を落としかねない。
 社会も分配が滞ると、社会の一部が崩落するだけでなく、社会全体が機能不全に陥りかねない。

 分配をいかにスムーズに進めるかということが、社会を健全に運営する基礎となるのだろう。

 むろん、共産主義の失敗を忘れてはならない。
 ソ連などの共産国家は公平な分配だけを心掛けるあまり、頑張って働こうというインセンティブが失われ、列車の中でイモが腐り、都会では配給が来ずに飢える、ということが起きた。
 「公平に分配しよう」とするだけでは分配不全が起きる、という皮肉な教訓を忘れてはいけない。

資本主義社会は「労働」を分配の対価として位置づけることで成功してきた。
 だが、近年は一部の投資家や起業家にだけお金が集中し、分配不全が起き始めている。このままでは、治療を施さない重い糖尿病患者と同じになってしまうだろう。

■新しい「分配」のデザイン

 新しい時代の「分配」は、「労働」以外のどんな根拠で行えば、機能不全に陥らずに済むのだろう?
  ここからは「ソーシャルデザイン」の仕事になる。
 そしておそらく、ソーシャルデザインには「生きがい」という視点が重要になるだろう。

 自動化社会では労働が大幅になくなってしまうから、誰かの役に立つという「貢献感」を得にくい。
 誰かの役に立っている、だから私は生きていて構わないんだ、私の居場所はここなんだ、という「居場所感」も持ちにくい。
 それらがないと、たとえベーシックインカムで生きていくことができるとしても、なんだか生きる甲斐がない。
 人間というのは「パンのみに生くるにあらず」という、実に面倒くさい生き物なのだ。

 貢献感、居場所感を確保しつつ、生きるのに十分な食料を分配し、行き渡らせる。
 これらの課題にどう辻褄を合わせて社会を設計するのか。
 人間心理を知悉した、ソーシャルデザインを本気で考えなければならない時代に来ているのかもしれない。


【2017年 大きな予感:世界はどう変わるか】




●武田邦彦 少子化は存在しない事実とは!
Published on Mar 4, 2017

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