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サーチナニュース 2017-04-26 08:12
http://news.searchina.net/id/1634439?page=1
人類にとっての理想の暮らしとは「日本人の生活」かも=中国報道
国籍や人種にかかわらず、「良い暮らし」をしたいと願うのは人類共通の思いだと言えるだろう。
国連開発計画は毎年、人間開発報告書を発表しており、そのなかでは「人間開発指数」など様々な指標も発表される。
国連開発計画によれば、人間開発指数としては
「国の開発の度合いを測定する尺度として、
1人当たりのGDP、
平均寿命、
就学率
を基本要素」
とし、これらを独自の数式に基づいて指数化したものだ。
日本の2016年の人間開発指数は世界17位と、世界90位の中国に比べて随分上位にいることがわかる。
中国メディアの快報はこのほど、日本の社会は調和がとれていて、秩序があると伝え、
「日本人の暮らしこそ、人類にとっての理想かもしれない」
と主張する記事を掲載した。
記事はまず、「日本人の暮らしが人類にとっての理想かもしれない」と主張した根拠の1つとして、
★.日本人の環境保護意識の高さを背景とした環境の良さや
浪費を良しとしない文化
を挙げた。
中国人の暮らしは豊かになってきているものの、浪費や贅沢が好まれる傾向にあることを指摘し、「中国の社会は歪んでいる」と指摘した。
また、日本は世界有数の自動車強国であるにもかかわらず、日本人は公共交通機関を利用することを厭わず、実用性が高くて燃費の良い車が好まれると指摘。
一方の中国ではどのような車に乗っているかで、他人の生活の質を推し量る傾向があることを指摘し、
「自動車をはじめとする奢侈品の消費という点から見ても、日本人の方が中国人より成熟している」
と指摘した。
さらに、日本社会には「お互いに敬意を持って接する」という精神が満ちており、
「他人に迷惑をかけない精神」によって社会の秩序が保たれていると指摘。
公共交通機関の車内では誰もが静かで、仮に乗客同士がぶつかれば、お互いに謝意を示すのが日本人だと指摘、このような態度で互いに接することができるからこそ、
「複雑な問題もシンプルになり、調和の取れた社会が実現するのだ」
と論じた。
そのほかにも記事は、
「日本人は誰もがルールを守る」、
「自然環境や住環境の素晴らしさ」
などを挙げ、
「日本人の暮らしこそ、人類にとっての理想かもしれない」
と主張した。
』
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人民網日本語版配信日時:2017年4月30日(日) 5時10分
http://www.recordchina.co.jp/b176443-s10-c30.html
中国人とは異なる、日本人の「生と死」に対する考え方―中国メディア
日本のある宗教についての調査では、「来世」について、日本人の29.5%が「信じる」、40%が「信じたい」と答え、信じると答えた人は若者のほうが多かった。
その他、54%が「魂を信じる」と答え、「生きている人は、何らかの形で亡くなった人の世界とつながっている」ことを信じている人も全体の64.9%を占めた。
第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「おくりびと」は、このような日本の文化を背景に制作され、公開と同時に社会の話題をさらい、当時最も人気の映画となった。(文:万景路。中文導報掲載)
「おくりびと」では、プロのチェロ奏者だった主人公の小林大悟がある日突然失業し、旅行代理店の求人だと思い込んで受けた面接に合格した結果、「おくりびと」になる。
最初のうちは心理的に抵抗があったものの少しずつその仕事に慣れていく。
しかし、家族に反対されるなどの挫折を味わい、頭を悩ます。
最終的には、数多くの納棺をこなし、この仕事が神聖なものであることを悟り、一人前の納棺師となる。
「おくりびと」は、
「『死』というのは、遠い新しい場所に通じる扉にすぎない」
という信念を伝えている。
これらを考えると、日本人は「生死」に直面しても、落着きと冷静さを保っており、ポジティブでユーモアある感情さえ現れることがわかる。
このような特徴を聞くと、日本人にとっての「生死」とはなんなのか知りたくなってくる。
日本には「死生観」という言葉があり、死を通した生の見方を強調する日本人独特の宗教観を示している。
親戚や家族が亡くなっても、日本人は声を張り上げて泣き叫ぶことはほとんどなく、涙を流す姿さえあまり見ない。
葬式に参列している人は、現実を受け入れるほかないという表情で、動じず、落ち着いていることが多い。
その理由を分析してみると、まず、
★.日本は資源が乏しく、
災害が多いという自然環境であるため、
昔から日本人は人生とは、はかないものであることを悟り、
死ぬと清らかで、万物を超越した存在になる
という意識が少しずつ形成されてきたことが考えられる。
また、いい人も悪い人も、死ねば潔白で、みんな「仏」になれるという意識が形成されてきた。
日本人が「死んだらみんな仏様」と考えているのはこれが原因ではないだろうか。
★.次に、小説家の村上春樹は「ノルウェイの森」で「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」ことを何度も強調している。
これは、日本の仏教の「人の死は、一つの扉から来世の扉へ足を踏み入れるだけのこと」という観念とマッチしている。
そして、このような考えは、日本の古今の文学作品の中でたびたび登場する幽玄(ゆうげん)やもののあはれという理念、叙述手法ともマッチしている。
文学作品の生死に関する描述も日本人の死生観にある程度影響を与えていると言えそうだ。
★.三つ目に、古代の日本の武士は、
「夏の花の如く艶やかに生き、秋の枯葉の如く穏かに終りを迎えよ」
という武士道精神を貫いた。
つまり、「命を惜しむことは恥」と考えられていたのだ。
その他、日本の武士道の精神は桜の花と相通じる部分がある。
日本には、桜は咲いてから散るまでが七日間に過ぎないという意味の「花七日」という言葉がある。
咲きながら散っていく桜の花は、はかない命のようで、美しく生き、清く死ぬという武士道の精神とマッチしている。
これも、日本人の死生観にある程度影響を与えているのではないだろうか。
このように、自然、仏教、文学、武士道などの特徴が相互に作用して、
冷静に死を受け止める日本人独特の「死生観」が形成された。
日本の墓地が住宅街付近にあり、ひいては仏壇を置いて死者と家で共存しようとする現実を見ると、日本人の意識の中で、生と死の距離がいかに近いかが一目で分かる。
死は命の一部で、尊厳を持って生き、尊厳を持って死に、
死んでからも新たな旅に出る
というのが、ほとんどが霊魂不滅を信じている日本人の一般的な考え方だといえる。
(提供/人民網日本語版・編集KN)
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レコードチャイナ 2017-05-22 22:12
http://news.searchina.net/id/1636215?page=1
訪日した中国人は
「目の前の日本」と「失われた20年」を結びつけられない=中国
日本経済のバブル崩壊後の期間を指して「失われた20年」という言葉が用いられることがある。
中国経済も不動産バブルが生じていると指摘されており、経済成長率の低下がささやかれるようになった今、同じ経験を先にした日本に多くの中国人が興味を抱いているようだ。
中国メディアの今日頭条はこのほど、中国では
「失われた20年」という言葉が日本経済の衰退と没落を裏付ける言葉として使用されがちであり、一国の経済でバブルが崩壊した後に迎える低迷期に関する事例と認識されていると伝える一方、
「出張や旅行で訪日した中国人は、自分の目で見た日本の姿と失われた20年という言葉をどうしても結びつけることができない」
と論じる記事を掲載した。
記事はまず、
★.失われた20年という言葉は国内総生産(GDP)の成長率だけを唯一の基準とするという考え方であるとし、
経済成長率が低迷しながらも今なお日本が豊かな国であることを理解するには「GDP成長率だけを基準とする考え方から離れる必要がある」と指摘。
★.また、日本は1995年から2015年までで、労働人口が急激に減少していることを挙げ、
「労働人口が減少すれば、GDPの成長が抑制されるのは当たり前」だとした。
★.労働人口が減少しても日本のGDP成長率が一定の水準を保っているのは
「失われた20年の期間中、日本の労働生産性が大幅に向上している」ためだと指摘。
生産性の向上は、労働力の不足を補っているとし、むしろ日本経済は筋肉質になったと論じた。
さらに、日本企業は国外にも多く進出しているが、
★.国外に持つ莫大な資産は日本のGDPには計上されていないことも紹介している。
実際、有名な日本の自動車企業を例に上げ、「毎年生産する1000万台の自動車の内、おおむね3分の2は海外で生産されている」としたほか、日本企業が国外に持つ純資産はバブル崩壊後も増え続けており、日本は国外でもしっかり稼ぐ構造になっていると伝えた。
失われた20年と言われ、経済成長率が低迷しているはずなのに、日本社会が豊かに見える理由について「GDPの成長率の他の要素を考慮すれば分かってくる」と記事は結んでいる。
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