2017年3月5日日曜日

中国(26):「核心様はワイロがお好き」 腐敗追放キャンペーンのリーダーが?

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ウォール・ストリート・ジャーナル 3/7(火) 12:42配信 By CHUN HAN WONG,
http://jp.wsj.com/articles/SB10681214028215414391304583007313464442902

中国の歴史ドラマに習主席らの名前「賄賂に弱い将軍」で



●中国の歴史ドラマの小道具の巻物に習主席らの名前が

古代中国を舞台にした歴史ドラマのセットを作った人たちは、こっそり習近平国家主席への言及を小道具の巻物に忍ばせたのだろうか。しかも、必ずしも同主席の名誉にならないようなやり方で忍ばせたのだろうか。

 中国では、人気の連続テレビドラマ「大秦帝国第三部」をめぐり、このような臆測が飛び交っている。大秦帝国は2000年以上前の中国初の王朝(秦)が台頭する様子を描いたドラマだ。最近放送された回には、秦がライバルの趙との争いでこう着状態に陥るなか、秦のスパイが竹製の巻物を開くと、そこに趙の将軍たちの名前が書かれているのが映る場面があった。賄賂に弱いとみなされている将軍たちだ。

 そのうち6人は、古代表記のために簡単には読めなくなっていたが、中国人にとっておなじみの人たちだった。そこには、習近平、胡錦濤、温家宝、李長春、李克強、そして賈慶林と書かれていたのだ。

 胡錦濤氏と温家宝氏は2003年から13年までの間、それぞれ国家主席と首相を務めていた。李長春氏と賈慶林氏は12年末まで10年間にわたって中国共産党中央政治局常務委員を務めていた。李克強氏は現首相であり、中国ナンバー2の指導者だ。

 テレビで見たという1人の視聴者と、動画配信アプリで見たという別の視聴者によると、このシーンは2月終わりに放送された。その後、ソーシャルメディアでは、一時的な騒ぎが起きた。だが、このシーンに関する鋭い視聴者たちの間のやりとりは、中国のソーシャルメディアから姿を消した。

 物議を醸すシーンは、中国の商業動画サービスに投稿されているバージョンからは削除されている。ただし、いくつかの海外サイトでは今も視聴可能だ。

 このドラマを放送した国営の中国中央テレビにコメントを要請したが、回答はない。中国のテレビ規制当局や、ドラマを放送した動画配信サイトの優酷も同様だ。この回を放送した別の動画サイトの愛奇芸はコメントを差し控えた。ドラマのディレクターはコメントの要請に応じていないほか、製作会社の西安曲江大秦帝国文化伝播の職員は、この問題を知らないと答えた。

 このシーンの扱いに慎重さが必要なことは、気付いた人にとって明白だった。そのシーンがいかに短かったとしてもだ。

 中国のインターネット・フォーラムにあったスレッドのタイトルには、「大秦帝国は放送禁止になりそうだ」と書かれていた。このフォーラムは以降、管理者による検閲を受けている。

 習主席は、国家主席になってから4年間、腐敗の徹底的な取り締まりを行っている。「趙の将軍」として描かれることは、政治的に強い感情を引き起こしかねない。なぜなら、政治志向の中国人の間では、「趙一族のメンバー」という言葉が、金持ちの有力者を遠回しに指すものとして使われているからだ。

 この回は、5日に全国人民代表大会(全人代=国会に相当)が開幕する数日前に放送された。全人代は1年で最大の政治イベントの1つだ。秋には10年に2度行われる共産党大会で指導部の刷新を控えている。このため現指導部には、裏で駆け引きをする一方で、公に団結を示す圧力がかかっている。

「大秦帝国第三部」は、孫皓輝氏の歴史小説を基にした人気テレビシリーズの第3弾で、およそ紀元前5―3世紀まで続いた戦国時代を舞台としている。地元の報道によると、最新シリーズは2011年に撮影され、当初は15年に放送の予定だったが、検閲当局による編集要請を理由に放送が今年にずれ込んだという。



時事通信 3/11(土) 8:25配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170311-00000032-jij-int

習主席、余裕を演出
=「核心」にひれ伏す高官
-中国全人代〔深層探訪〕

 中国の習近平国家主席(共産党総書記)は5日、全国人民代表大会(全人代、国会に相当)が開かれた北京の人民大会堂の会場に笑みを浮かべながら入場した。
 昨年10月に毛沢東、トウ小平らと並ぶ「党中央の核心」に位置付けられて以来、初めて迎えた政治舞台。
 2期目の最高指導部人事を決める5年に1度の党大会を秋に控え、習氏は「余裕」の表情で一層強固となった「一強体制」をアピールした。

 ◇ひな壇の談笑

 全人代の冒頭、政府活動報告を読み上げた李克強首相は、習氏の「核心」について、「党と国の繁栄・発展と長期的安定を保証する上で極めて重要な意義を持つ」と称賛。
 締めくくりで李首相は声を一段上げ、「習同志を核心とする党中央を中心に一層緊密に団結しよう」と呼び掛けた。

 習氏に従う姿勢をアピールする李首相。
 習氏も満足げな表情を浮かべ、散会後、両氏は談笑しながら席を立った。
 握手する場面こそなかったが、昨年の全人代で会話を交わすこともなく、終始、不機嫌そうに李首相の報告を聞いていた習氏の様子とは一変した。

 内外メディアや外交団が注視する中で交わされた談笑は2人の本当の姿か、それとも演出なのか。
 習氏は主席就任後、従前の指導部では首相が握っていた経済政策の主導権を李首相から奪ったほか、実際の政策などをめぐっても両者の間に確執があったとの臆測が流れた。
 両者の価値観や政策は大きく異なるものの、李首相には習氏に匹敵する権力も求心力もないのが現実だ。

 ◇「毛沢東」目指す

 権限を集中させる習氏に対して、「ひれ伏すような従順な態度」(党関係者)を取っているのは、李首相だけではない。
 「反腐敗」を掲げ、江沢民元国家主席や胡錦濤前国家主席と関係の深かった高官を次々と摘発した習氏に対して、正面から異論を唱える指導者は不在だ。

 最近、閣僚や地方の要職には、習氏が浙江、福建両省に勤務していた時期に部下だった「浙江閥」「福建閥」と呼ばれる人材の起用が目立つ。
 一方、二つの派閥には属さないが、昨年9月に湖北省トップの党委員会書記から天津市党委書記に栄転した李鴻忠氏のケースは、党内の出世には習氏に忠誠を誓い、持ち上げることが不可欠であることを一層明白にした。

 李鴻忠氏は、昨年の早い段階から、習氏を公然と「核心」と呼び、習氏の権威を高める動きに加わっていた。
 天津に異動後も、習氏に忠実な態度を強調。
 天津紙によると、先月の会議で李氏は習氏を「党の領袖(りょうしゅう)」と呼んだ。

 「領袖」とは、かつて毛沢東に使われた呼称。
 李氏以外にも「領袖」と呼ぶ地方指導者の動きも伝えられている。
 「核心」を上回る権威付けに向けて、再び李氏らが動いている可能性は高い。

 党内には文化大革命の反省から、毛沢東のような個人崇拝が復活することには反発も根強いが、「党大会を控え、自分の出世を考えれば、習氏を称賛するしかない」(党関係者)といった空気が党内を覆っている。
 党大会の指導部人事はもはや習氏の手の中にあるように見えるが、習氏の強権に対してくすぶる党内の不満は、次期指導部の顔触れ予測を難しくしている。(北京時事)



ダイヤモンドオンライン 2017.3.14 加藤嘉一:国際コラムニスト
http://diamond.jp/articles/-/121087

中国が主張する習近平外交の「先進性・開拓性・安定性」とは

■「すべて」が妥協する二つの会議

 北京で1年に1度の“両会”が開催されている。
 「全国人民代表大会」と「全国政治協商会議」が両方同時に行われることからこのように呼ばれる。
 「この時期、“すべて”がこの会議に妥協する」。
 中国では政治が“すべて”に優先することを象徴するかのようだ。

 私の周りだけを見ても、最近2つのことが“両会”によって妥協された。
 ひとつは、3月10日前後に北京で開催予定であった書籍の発表会兼座談会が3月20日以降に延期された。
 理由は「“両会”の前、期間中はアクションを取らないほうがいい」というものだった。
 もう一つは、先週ある新聞紙に掲載されるはずだった評論記事が少なくとも1週間延期された。
 理由は「現状から、“両会”期間中は関連テーマ以外の記事は載せられない」というものだった。

 “両会”というのはそういうもので、中国で生活する限り、また中国と関わり続ける限り、政治との“縁”は切れないのだと、改めて実感している。

 「政治がすべて」と言えば、2017年は秋に共産党の第19回大会が開催される。
 今年の“両会”もその前提、つまり、秋に党大会が行われるという文脈の中で語られている。
 “両会”は一年に一回、党大会は5年に1回。後者の政治的重要性のほうが濃厚であるのは言うまでもない。
 その意味で、いま現在行われている“両会”は約半年後に同じ場所で開催される党大会のためにあるといっても過言ではない。
 経済政策も、外交戦略も、社会安定も、軍事展開も、すべてが政治の論理で実践される。
 党の19回大会を円満に迎え、共産党の正統性を内外にアピールするためである。

■“すべて”が秋の党大会に向かう現実

 “すべて”が秋の党大会に一直線に向かっていく現実を改めて実感させられた“両会”を眺めながら、私は昨年12月、北京で行われた《2016年国際情勢と中国外交》というシンポジウムで基調講演をした王毅外相の言葉を思い出していた。
 「2017年、中国外交は党の19回大会が円満に開催されるために全力で奉仕しなければならない……ホットイシューの解決とグローバルチャレンジへの対応に対して建設的に関与し、国際社会が中国の特色ある社会主義という進路・理論・制度・文化に対して理解と承認を増進するよう積極的に引導し、19回大会のために有利な外部環境を造るのである」

 私から見て、非常に野心的な表現に聴こえる。
 これまで、特に胡錦濤時代においては、中国外交のミッションはあくまでも国内建設をきっちり行っていくための外部的環境を造るという次元に設定されていたというのが私の理解であるが、習近平時代になって、それだけではなく、海外諸国や国際社会が中国の政治システムや発展モデルに対して“理解と承認”を深められるように、中国外交が“積極的に引導”するというミッションまで課している。

 対外的な政策や行動を通じて、国際社会が
 「中国はしっかりと動いている」
 「中国は責任ある大国としてのリーダーシップを発揮している」
 「中国がいなければ世界情勢は安定しない」
といった評判を蔓延させることによって、結果的に
 「そんな風に考え、動ける中国の体制やシステムは優れており、そのガバナンスは各国が見習うべきものだ」
という類の国際世論を造りたいのであろう。

 そう考えると、結局は中国の特色ある社会主義を掲げる中国共産党の権威を守り、正統性を保ち続けることに“すべて”が凝縮されていくということなのだろう。
 なんてことはない、当たり前のことかもしれないが、昨今、
 そんな“空気”が以前にも増して中国国内で充満している
ことを記しておきたい。

■外交→内政を認識、「三つの鮮明な特徴」

 3月8日、王毅外相が全国人民代表大会の主催で記者会見に臨んだ。毎年恒例の会見であり、いま現在指導部が対外情勢をどのように俯瞰しているかをうかがう上では一つの機会になると私は考えてきた。

 本文が繰り返し言及する“すべて”の論理からすると、王毅外相は同会見においても、自らが担当する外交政策の立場から共産党の正統性に奉仕すべく、習近平氏が総書記に就任してから、即ち党の18回大会からこれまでの中国外交を体系的に総括した。
 「党の18回大会以来、習近平同志を核心とする党中央の力強い領導の下」を強調した上で、「三つの鮮明な特徴」を提起した。
 少し長くなるが、いま党指導部がどのような論理構成と因果関係で対外→対内、外交→内政を認識し、宣伝しようとしているのかを知る上で重要だと考えるため、3点すべてを翻訳してみたい。

★.まずは先進性である。
 習近平総書記は時代の流れの上に立ち、歴史の方向性を把握し、一連の新思考と新理念を提起してきた。
 例えば、対抗ではなく対話をすること、同盟ではなくパートナーシップを結ぶこと、そして協力とウィンウィンを核心とした新型国際関係を構築することなどである。
 この基礎の上に立った上で、共同で人類の運命共同体を構築すると提起した。
 これらの新しい思想や理念は同盟と対抗という古い考え方を捨て去り、ゼロサムという古いやり方をも超越した、中国の特色を鮮明に反映した、同時に重大な世界的意義を持つものであり、新たな時期における中国外交に行動指南を与えてくれるだけでなく、人類の進歩と発展にとっても深遠な影響をもたらすであろう」

★.「次に開拓性である。
 中国外交は国家と人民の利益のために積極的に進取し、創新的に開拓した。
 我々はグローバル規模でパートナーシップを結び、ネットワークを構築した。
 それは国内の発展に有利に働く外部環境と戦略的支えをもたらすものである。
 我々は“一帯一路”イニシアティブを推進し、中国にとって新たな段階における対外開放と互恵協力の歴史のページを切り開いた。
 我々は人民とともに歩み、海外における民生プロジェクトを打ち出し、中国人民、企業の海外における正当で合法的な権益を有効的に守ってきた」

★.「三つ目に安定性である。
 混乱と不安、戦乱と衝突が頻繁に発生する地域・国際情勢を前にして、我々は終始平和的発展の道を堅持してきた。
 国際秩序や国際システムを巡って現存する懐疑的な言行を前にして、我々は終始それらを維持する中で改革と改善を試みるべきだと主張してきた。
 “反グローバル化”と保護主義の風潮が台頭する現状を前にして、我々は終始マルチラテラリズムと開放包容の旗を高く挙げてきた。
 中国外交のこれらの安定性と確定性は大国が本来的に負うべき責任であり、あらゆる不確実性をヘッジしただけでなく、中国の変わらない力量と自信を存分に示したものといえる」

■「危機の中に機会あり」と解釈、中国共産党らしい思考回路

 “中国共産党用語”であるだけに理解しにくい部分もあるし、何よりあまりにも自己アピールに傾きすぎているが故に、客観的な政策評価にはつながらない。
 あくまでも、党指導部が主観的に何を考え、目論んでいるかという次元における解読作業に役立つ情報という程度である。一つ一つ見ていきたい。

★.一つ目の先進性はあからさまに習近平総書記に外交の立場から忠誠を誓う類の言葉であり、習近平外交がいかに“先進的”であるかをアピールしようとしたものである。
 習近平外交は引き続き新型国際関係や人類の運命共同体といった類の“新理念”を打ち出しつつ、国際社会で自らのリーダーシップを誇示し、発言権と影響力を高めるべく奔走していく用意があるというシグナルと言える。

★.二つ目の開拓性のキーワードはやはり“一帯一路”であろう。
 習近平外交にとってはまさに核心的とも言える掛け声であり、
 これが“失敗”することは政治的に許されない。
 今年5月、中国は北京で《“一帯一路”国際協力ハイレベルフォーラム》を主催する。
 この日の会見で、王毅外相は
 「現段階の統計によれば、20名以上の国家元首・首脳、50名以上の国際組織責任者、100名以上の閣僚級代表、および1200名以上の世界各国・地域からのゲストが出席することになっている」
とのことである。
 党の19回大会に向けて“一帯一路”が国際社会から注目・歓迎されていることを誇示するための、外交から内政への奉仕プロセスだと言えるだろう。

 また、開拓性が海外における中国人民と企業に触れていることから、対外投資や海外旅行を含め、中国官民の外への動きが加速する中、いかにして諸外国の現地社会との摩擦や衝突を防ぐかという点が中国外交にとってのひとつのミッションであり、中国当局へのプレッシャーになっている現状が見てとれる。

★.三つ目の安定性であるが、これがトランプ大統領時代の米国を強く意識した文言であるように私には映った。
 “反グローバル化”や保護主義はまさにトランプ氏が大統領に就任する過程において、国際社会が米国を不安視する要素であり、逆にマルチラテラリズムや開放包容は国際社会がトランプ時代の米国に求める要素である。
 習近平時代の中国外交は、米国がグローバル化や自由貿易システムを重んじ、開放的・包容的であってほしいと願う一方で、仮にそうならなかったとしたら、中国が米国に代わって、国際社会にこれらを提供すべく奔走するにちがいない。

 どちらに転がっても自らに有利に働くような戦略を立てる、“危機”を「危機の中に機会あり」と解釈する中国共産党らしい思考回路だと感じさせられる。






【2017年 大きな予感:世界はどう変わるか】



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