2017年5月2日火曜日

朝鮮半島の行方(2):金正恩王朝を支えるマネーの実態

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ダイヤモンドオンライン 2017.5.2 李 相哲:龍谷大学社会学部教授
http://diamond.jp/articles/-/126456

北朝鮮「首領経済」、
金正恩王朝を支えるマネーの実態


●写真:労働新聞(電子版)より

 朝鮮半島情勢が緊迫するなかで、テレビで軍事パレードの様子やピョンヤン市内の高層ビルが映し出されることが増えた。
 外見的には金正恩時代になってから北朝鮮の経済事情は良くなっているようにも見える。
 2013年には平壌に敷地11万平方メートルのウォーターパークを建設、
 14年にはアジア最大規模をほこる馬息嶺スキー場をオープン、
 1発数百万ドルするスカッド(中距離ミサイル)や3000万ドルもするといわれるムスダン(中距離弾道ミサイル)を30発以上も発射
した。
 金正恩政権はこのカネをどこから調達しているのか。
 王朝のマネーを支える「首領経済」がある。

■金正日時代に始まった首領経済
党に「統治資金」集める専門部署

 米空母カールビンソンの朝鮮半島近海への派遣が伝えられていた最中の4月13日、平壌では金正恩労働党委員長出席のもと黎明通り完成式典が行われた。
 30階以上の高層ビル20棟ほどが立ち並ぶ黎明通りのオープンに先立ち、首相の朴奉珠(パク・ポンジュ)は、「(通りの完成は)敵の頭上に数百発の核爆弾を落とすよりも強力なもの」と自慢、「米国とその追従勢力の制裁の企みに対する勝利」と語った。

 国際社会の経済制裁にもかかわらず経済はむしろ改善しており、体制も盤石であると誇示する狙いがあったと思われる。
 その支えになっているといわれるのが、金正恩委員長が握る財布、すなわち“首領経済”だ。
 北朝鮮には、統計上に現れる国民経済の他に、もう一つの「財布」が存在するのだ。 

 起源は、1970年代初頭に遡る。金正日が父親の金日成の後継者の地位に就いた時期と重なる。
 1973年9月に開かれた朝鮮労働党中央委員会第5期7次会議で、組織指導部長兼組織・思想担当書記に選出された金正日は、党の運営方式を大きく変える。
 党中央委員会の中の党部門を拡大再編し、それまで党員から徴収する党費でまかなっていた党部門の業務を国家統治の全般に及ぶものにし、国家経済の上に君臨する「党経済」システムづくりに乗り出すのだ。
 金正日は党中央傘下の財政経理部を独立させ、統治のために必要とする資金を優先的に確保するようにした。
 例えば「1号計画」「1号行事」に必要な財源は国家予算と関係なく捻出できるようにした。
 1号計画、1号行事とは、金日成の神話づくりや宣伝事業、首領の神格化のためにつくられる各種施設の運営、行事を指す。
 例えば、金正日が工場を視察に訪れた際、思いつきで「この工場に車を3台送るように」と指示したら、無条件にそれを実行しなければならない。
 独裁体制のもとでは、1号計画に必要な資金の捻出にクレームをつける機関も人間もいない。
 「党経済」がすべてに優先されるようになった。
  それが首領経済の始まりである。

■貿易やホテル経営で外貨稼ぎ
私的な資金は、別部署で確保

 金正日は、そのシステムをさらに「効率よく」稼動させるため、党中央財政経理部第1課を基に「39号室」と称する専門部署をつくった。
 39号室傘下には、デソン貿易総会社(デソン総局)を設立、金塊や松茸、朝鮮人参、真珠など、外貨を獲得できそうな物品の貿易を取り仕切る10以上の業種別の局を置いて、各部門が稼いだカネを39号室が吸い上げる仕組みを作ったのである。
 貴金属は第1局、水産物は第3局、朝鮮人参や松茸は第4局、という具合だ。

 39号室に吸い上げられる資金は党運営全般に使われるというより、実質的には首領個人の「統治資金」として使われた。
 傘下に巨大な組織を率いる39号室はかなりの資金が必要だ。
 そこで、それとは別にプライベートな資金を確保するために、金正日は80年代に入ると、「私的な金庫」の性格が強い38号室を新設した。

 38号室は、傘下に高麗金融合営会社を設立、恒常的に外貨収入が見込める高麗ホテル、羊角島ホテルなど一流ホテルの経営権と、外貨でしか物が買えない外貨商店、高級レストランなどの利権を一手に握る。

  このようにして国家経済を蝕む首領経済の規模は、次第に膨れ上がった。
 デソン貿易はモスクワ、北京、東南アジアなど17の国に支社、または代表部を、国内の主要港湾と物資が集中する拠点に出張所を設置して金になる貿易を独占した。

 首領経済システムは、次第に党中央各部門に拡大し、その後、中央党の20の専門部署のみならず、軍総政治局、人民武力部、偵察総局など力のある中央機関にも導入された。
 海外に120店舗以上もあるとされる北朝鮮レストランは、これら中央機関がそれぞれ独自に管理運営する事業体である。

■軍も外貨稼ぎの会社を次々に
忠誠資金などが国家予算の6割

 「首領経済」を支えているのは、党だけではない。
 金正日時代に巨大な権力機関と化した軍部も、首領経済の一部を支えている。
 朝鮮人民軍も、80年代より傘下に各種名目の外貨稼ぎの会社をつくり、本来なら国家が手かげるべき事業を横取りし、外貨を稼いではその一部を正日に「忠誠資金」として献納、残りは私的に流用するようになった。

 北朝鮮対外保険総局の海外支社に勤務中、韓国に亡命し、現在は韓国の国家安保戦略研究所で北朝鮮経済を研究する金光鎮氏は、
 「このような会社は、中央の各機関に無数に存在する」
 「これら各種会社は、国家経済にストローを突っ込み、生き血を吸い上げる寄生虫のような存在だ」
と話す。
 いまでは国家予算に占める首領経済の比重は60%を超えると見られている。

■中核を担う武器輸出
側近に高級車贈り、人心掌握

 貿易とともに、首領経済の中核を担うのが軍需産業だ。
 72年頃、北朝鮮は軍需産業を統廃合して「第2経済委員会」を発足させ、軍需産業を内閣の統制から切り離した。
 軍需産業もこの時点で、国家計画委員会の統制は受けず、労働党中央傘下の専門部署の一つとして、内閣ではなく党の中央委員会の傘下に入る。

 金正日は、軍需産業を外貨獲得の重要手段として位置づけ、武器の取引に力を入れた。
 政情不安定なアフリカ諸国にはミサイル、自動ライフル、小型潜水艦などを輸出。
 シリア、ミャンマーのような国には大量破壊兵器(核と化学・生物兵器)の技術を輸出したといわれる。

 2010年に国連がまとめた『国連制裁1874関連専門化パネル報告書』によれば、
 「北朝鮮は武器の輸出入に向け、
 大変に精巧な国際ネットワークを構築し、
 特に国防委員会、労働党、北朝鮮軍が(武器の輸出入をする)最も活発な組織だ」。
 「国防委員会傘下の第2経済委員会が核兵器・ミサイル・その他の大量殺傷武器(WMD)関連の輸出で最も大きい役割を受け持っている。
 労働党の軍需工場部は寧辺の核施設と核兵器プログラムを扱い、
 第2科学院は武器の開発研究とミサイル部品・技術輸出を行い、
 軍偵察総局は在来式武器の製造と販売を担当している」
という。
 これらの武器取引で得たの利益の多くは、統治資金を集めている39号室にも流れた。

 金正日はこうして集めた資金をもとに、「善心政治(お土産政治)」「人徳政治」と呼ばれるやり方で、軍幹部らの人心掌握を行い、豪勢な生活を送ったのだ。
 世界中から山海の珍味を調達してきては、忠誠心の強い政権中枢の人間が参加する宴を頻繁に開いたり、政権周辺の人間にも定期的にスイス製の高級腕時計やベンツを送ったりした。
 また、気に入った幹部には最高級イタリア製洋服生地を定期的に送り、家族にまで日本製ワコールの下着を送った。
 軍心を掌握するため、軍に絶大な影響力を持つ将軍らにも、毎年盛大な誕生パーティを催すのを忘れなかった。
 また、国内に2万体あるといわれる金日成の銅像や記念碑づくりにもカネを惜しまなかった。

■正日の仕組み、引き継いだ正恩
新たな「上納金」システムも

 金正恩はこうした首領経済システムをそのまま受け継いだ。
 権力の座に就いて目立つのは、首領経済の「財布」のカネを、自らの権力誇示や実績を強調する狙いで使っていることだ。
 就任早々に手がけた事業のほとんどは国民経済を底上げする事業とは関係なく、遊戯施設や高級住宅など「目に見えるもの」が多かった。
 それは、若くして実績も乏しいまま首領の座についた金正恩の焦りの表れでもあった。

 急いで成果を出すため、経済改革のような根気と時間の要る政策よりは、まずは目に見える施設などの箱物を作ったり、国の力を誇示できる核開発やミサイル発射に傾注したりしてきた。
 こうした事業に集中的に財源を投入するには、首領経済というシステムを利用するのが手っ取り早い。

 金正恩は、首領経済から得る収入のほかに、カネ稼ぎの利権を党や軍の各部門に与える代わりに、利益の一部を「上納金」として納めさせるシステムもつくった。

 元北朝鮮護衛総局の幹部で2000年代半ばに脱北し、現在は韓国の民間シンクタンクに席を置くチャン・ソンチョル(仮名)氏によれば、金正恩へ上納する年間の金額は部門によって割り当てられている。
 党の財政経理部や行政部は年間2000万ドル
 軍の総政治局、人民武力部、保衛司令部、偵察総局や、国家保衛省(旧、国家安全保衛部)、73総局(旧錦繍山経理部)などは1000万ドル
 平壌市、党軽工業部など海外でレストランを経営し、海外に出稼ぎ労働者を派遣するなど、事業を持たない部門は年間200万ドル水準
だという。

 正恩は自らの体制になってから、早急に成果を出そうとして、従来の統治資金などの献納システムから入る財源だけでは足りず、利権を各部門に与える一方で、党や軍が手がけている利権事業のなかでカネになる主要部門から、上納金という形で直接その利益を回収し始めたのだ。

■利権めぐり、党、軍、内閣が争い
張成沢処刑の遠因になった

 金正恩が、叔父でナンバー2の序列にあった張成沢(チャン・ソンテク)を処刑したのは、本質においてはこれらの利権から得られる利益の取り合いで起こったトラブルが原因だった面がある。
 金正日の死後しばらくは、張成沢が金正恩の代わりにこれらの部門の事業の利益回収にあたったが、事業の利権とそこから得られる収入を、首領経済を管理運営する党中央の39号室ではなく、自分の目の届く行政部に集中し、自分の直属の部下らに管理運営させようとした。

 その本当の理由は不明だが、金正日時代から規模を大きくしてきた首領経済の運営を内閣(政府)に戻し、内閣主導で経済再建を図ろうとしたと見られる。
 2013年12月、張成沢が処刑される直前に国家安全保衛部(現国家保衛省)の裁判所で読みあげられたといわれる「罪状」(「労働新聞」に掲載)の中に、その実態がはっきりと書かれている。
 張成沢は、金になる部門を内閣に集中し、自分は「内閣総理」になろうとした、と断罪しているのだ。

 元労働党幹部の尹容淳(ユン・ヨンスン、仮名)によれば
 「張成沢は絶えず、人民軍に対し外貨稼ぎ会社を内閣に渡せと圧力をかけた。
 それに真っ先に抵抗したのが人民武力部長の金永春(キム・ヨンチュン)や総参謀長の李英浩(リ・ヨンホ)らだった」

 組織指導部第一副部長の趙延俊(チョ・ヨンジュン)、金慶玉(キム・ギョンオク)、副部長の黄炳瑞(ファン・ビョンソ、いずれも当時)、自殺した禹東測(ウ・ドンチュク)の後を継いで国家安全保衛部部長に就いた金元弘(キム・ウォンホン)らも、利権を一人占めしようとする張成沢に反感を持っていたとされる。

 善意の解釈をすれば、張成沢は、いままでのいびつな経済システム、すなわち首領経済の仕組みを変えようとしたともいえる。

■外交官は外交特権を利用し密輸
首領一家と軍幹部ら2万人が甘い汁

 北朝鮮は、もともと金日成時代には普通の社会主義国家のように、内閣主導の計画経済だった。
 それを金正日が政権を掌握する過程で、内閣の上に君臨して、内閣を指揮する党中央専門部署をつくったのだ。

 中国などの国でも、党中央傘下に専門部署がないわけではない。
 中国共産党と他の国の共産党との「外交」事務を取り仕切る「対外連絡部」がそれに相当する。
 しかし、北朝鮮の場合はすべての内閣の部門の上に「○○部」と称する党の専門部署がある。
 党には外務省とは別途に外交政策を立案、決定し、首領様に決済をあおぐ国際部、内閣の工業や軍需産業部門を統括、指導する機械工業部などがあり、巨大な権力機関が党と内閣(行政部門)とで構成されている。
 そしてこれらすべての部門が、いまでは独自の外貨稼ぎに走っている。
 党費や税収などの財源があるわけではないので、自力で、自分の面倒を見なければならない状況にあるからだ。

 例えば、外務省の場合、外交特権を利用して金塊密輸をはかったり(2015年3月、北朝鮮外交官が金塊27キログラムを密輸しようとしてシンガポール税関で摘発される)、タバコの密輸にかかわったり(2016年、北朝鮮外交官がバングラデシュにタバコ8万箱を密輸しようとして摘発)、麻薬取引に関わったり(2004年、北朝鮮外交官2名が麻薬所持でトルコにおいて摘発、追放処分に)、多くの不祥事を起こしている。

 最近では、中古車の輸入販売にも外交特権を利用しているとの証言もある。
 このような体質は、金正恩時代に至っても、そのまま残っている。
 金正恩は、首領経済システムから吸い上げる統治資金をもってロイヤルファミリーと金日成と一緒に抗日ゲリラ戦を戦った革命第1世代の家族を含む約2000人と、中央から地方にいたる党・軍・政部門の幹部など2万人の面倒を見る。

 さらには、170万人あまりの平壌市民(2011年には220万人だったが、5年あまりでなぜ50万人近くが減ったかは不明)に、平壌に住む特権と最低限の生活を営むことのできる配給を行えば、外見上、国として成り立つ。

■枯渇しつつある「首領の財布」
闇市場の「住民経済」が拡大

 今の北朝鮮では、電力や運送、炭鉱、鉱山、農場などはほとんどが稼動を停止した状態だ。
 石炭や原油などは、中国などと闇ルートの貿易があったが、中国の措置もあって最近は取引が減ってきているようだ。
 ただ大多数の住民は首領経済の恩恵をもともと全く受けてていない。
 そこで自然発生的に起こったのが地方の闇市場、すなわち、「住民経済」である。
 90年代半ばに入り北朝鮮は、配給制度を廃止せざるをえない状況に追い込まれた。
 社会主義国家の崩壊で旧ソ連などからの支援が途絶えたうえ、、国際社会の経済制裁が厳しくなる中、首領は住民の面倒を見る余裕がなくなったからだ。

 大規模な洪水が重なったこともあり、90年代後半には200万以上の餓死者が出たといわれる。
 当局に食糧はもとより、生活に必要なすべてのものを依存していた住民らは、生き延びるだめに国を脱出、国境沿いで密貿易をはじめる。
 それができない住民は国中を彷徨しながら生計の口を探し回り、物々交換をするなどして生きる術を身に付けた。

 こうした住民らの自発的な経済活動によってできたのが闇市場、すなわち住民経済である。
 90年代後半に形成が始まった闇市場は、現在では大小規模をあわせて500ヵ所近くあるといわれ、完全に一つの経済圏を形成している。
 首領経済や軍需工場などの生産が停滞していることもあって、いまや住民経済は北朝鮮経済全体の約8割を担っているという評価もある。

 皮肉にも北朝鮮経済にここ数年改善の兆しが見えたのは、首領経済とはまったく別途に生成し、発展した地方の闇経済のおかげだ。
 いま、北朝鮮で起こっている大きな変化は、首領経済と住民経済の乖離が進み、この二重構造によって住民の生活は限定的ではあるが改善の兆しが見え、一方で首領経済、すなわち金正恩の「財布」は段々と枯渇しているという現象だ。
 国際社会の経済制裁は、いまや首領経済に的を絞っているからである。

 正恩時代になって、首領経済の主要な収入源になっていた武器取引やたばこの密輸、偽ドル、麻薬の取引に対する国際社会の監視は年々、厳しくなった。

 13年7月、パナマ共和国は麻薬などの運搬にかかわった前歴のある北朝鮮の貨物船を拿捕、船内から防空ミサイルの部品や戦闘機のエンジンなどを押収した。
 国連の北朝鮮委員会がまとめた年次報告書(14年3月)によれば、「2006年以降、北朝鮮による最大の武器取引」の摘発だった。

 また外交官が外交特権を利用してする密輸への監視も強化され、16年8月に、バングラデシュ政府は、電化製品や10万本以上のタバコの密輸をしようとして逮捕された北朝鮮外交官を国外追放した。

 最近でも、正恩体制の統治資金源になっているとして、国際社会は出稼ぎ労働者の受け入れにも待ったをかけようとしている。
 北朝鮮当局は、17ヵ国に派遣された約5万人の労働者から、上納金などで年間計12億ドルから23億ドルの収入を得ていたと、国連は指摘している(北朝鮮人権状況に関する報告書、2015年10月)。
 こうした国際社会の制裁や監視で、首領経済の収入源は断たれ始めており、取り組みが続けば、金正恩委員長の「財布」は、減ることはあっても増えることはないのではないか。

 金正恩は、高層ビルをつくるなどしているが、苦しい台所事情を隠すため、見栄を張っているようにしか見えない。