2017年5月6日土曜日

過剰人口と高齢化(1):「老年学」年老いて 万事枯れゆく 昨日きょう

_

東洋経済オンライン 2017年05月06日 吉崎 達彦 :双日総合研究所チーフエコノミスト
http://toyokeizai.net/articles/-/170628

これからは「60代で現役引退」は論外になる
問題は「高齢者の資産をどう活用するか」だ

■さようなら、三遊亭圓歌師匠

 さる4月23日、三遊亭圓歌師匠がお亡くなりになった。
 1929年(昭和4年)生まれで享年88歳。
 お年を考えれば仕方がないのだけれども、もうあの話芸を二度とライブで聞けないと思うと寂しい限りである。

 ワシはときどき浅草演芸ホールに通っているので、圓歌師匠の噺を何度も聞いたことがある。
 ちょうど1年前の5月連休中にもぶらりと立ち寄ったところ、圓歌師匠はご健在で、定番の『中沢家の人々』を聞くことができた。
 お暇な方、ユーチューブで「中沢家」を検索して聞いてみられると良い 。
 涙が出るほど笑えること請け合いだ。

 圓歌師匠は終戦の1945年に、10代で2代目三遊亭圓歌師匠に弟子入りした。
 1948年に二つ目として三遊亭歌奴を名乗ると、たちまち「授業中」という創作落語で一世を風靡する。
 若い人たちは知らないだろうが、「山のアナアナ~」というアレだ。
 当時、始まったばかりのテレビ演芸番組では引っ張りだこで、もちろん『笑点』の大喜利メンバーでもあった。
 昭和天皇の前で御前公演もやったというから、とにかく途方もない人気者であった。

 1970年に三代目圓歌を襲名する。
 以後はテレビ出演を控えて高座一筋で、落語協会の会長も務めている。
 さすがに今年に入ってからはお休みがちであったそうだが、実に生涯で約70年にわたって落語を演じ続けたことになる。

 ちなみに同じ昭和4年生まれには、現在、国立新美術館で「わが永遠の魂」展をやっている前衛芸術家、草間弥生氏がいる。
 草間氏は現在も、朝から晩まで創作活動を続けているという。 
 昭和ひとケタ世代の元気さにはしみじみ頭が下がる。

 さて、圓歌師匠の『中沢家の人々』である。
 自伝的なこの新作落語は、高齢化社会の到来に対する重要なヒントを与えてくれる。
 千代田区六番町にある圓歌師匠のご自宅には、かつて自分の両親、亡妻の両親、後妻の両親の都合6人が同居していたのだそうだ。
 圓歌師匠が、「年寄りが佃煮にするほどいる」と言うと客席はどっと沸く。
 「朝、6人でまるーく卓を囲んでお茶を飲んでいる。遠くから見るとまるで恐山だよ」
――それって遠からず、この国に生じる事態ではあるまいか。

 母親たちが朝、散歩していた。
 そこへトラックがやってきて轢かれそうになった。
 江戸っ子と思しき運転手が「ぼやぼやしてると轢き殺すぞ」と怒鳴る。
 すると母親がやり返す。
 「笑わせるんじゃねえ。昔は人が車を引いていた」
――いいねえ、この時代感覚。

 ある日、母親が圓歌師匠に向かって「親孝行してもらったから、子孝行して死んで行くよ」と告げる。
 翌朝、弟子が起こしに行ったら、母は蒲団の中で息を引き取っていた。
 病院の世話も、下の始末も一切なしにあの世に行ってくれた。
 まことに「子孝行」であった。

 そしてこんな狂歌が噺の「下げ」となる。

 年老いて 万事枯れゆく 昨日きょう 
   むさくるしさに なるまいぞゆめ

■ジェロントロジーは一段と重要性を増す研究分野に

 昨今の寄席は、お客の大多数が高齢者である。
 圓歌師匠が年寄りイジメのようなネタを振ると、客席が爆笑で応える。
 なにせ言ってる本人が80代なのだから、寄席の空気はとても暖かい。
 この国に落語があって良かったなと思う瞬間である。

 最近になって、「ジェロントロジー」という言葉があることを教わった。
 要は「老年学」ということで、長寿化、高齢化が進むと社会経済にどんなことが必要になるかを研究する学問である。
 なんと慶応大学経済学部には、「フィナンシャル・ジェロントロジー研究センター」なるものもできている 。
 今後、一段と重要性を増す研究分野であろう。

 人類の歴史において、かつて平均寿命は非常に短かった。
 ローマ時代には、生まれてくる子どもの半分以上が10歳未満で死亡していたというデータが残っている。
 若年死亡率が低下して、平均寿命が急速に延びるようになったのは、せいぜい産業革命が始まった18世紀中盤以降である。

 その次に20世紀に入ってから、今度は中高年の寿命が延びるようになった。
 よく知られている通り、アニメ『サザエさん』の磯野波平は54歳、フネさんが52歳という設定である。
 今の筆者は56歳だから、波平さんの年代はとっくに超えたことになる。
 20世紀中盤においては、波平とフネ夫婦がわが国における平均的50代のイメージだったのだ。

 そして現在、起きているのが高齢者のさらなる長寿化である。
 めでたいのか、めでたくないのか、平均寿命はこれからもさらに延びるらしい。
 『金融ジェロントロジー』(清家篤編/東洋経済新報社)によれば 、先進国における21世紀生まれ世代は半数が100歳に到達するとの試算もある。
 そうだとすると、「60代で引退して、後はのんびり余生を過ごす」という現在のライフスタイルは論外もいいところである。
 それこそ圓歌師匠や草間弥生氏のように、80代でもバリバリ仕事していただく方がよろしかろう。

 少子高齢化問題はかくも深い。
 日本政府が出生率の予測に失敗したことは誰もが知っている。
 が、もうひとつの誤算は、
 「日本人がこんなに長生きするようになるとは思ってもみなかった」
ことである。
 現在起きている現象は、
①:乳幼児の死亡率改善、
②:中高年の死亡率改善に続く、
③:最高寿命の伸長
という人類史上の第3段ロケットなのかもしれないのだ。
 これでは医療から年金まで、いろんな制度設計を急いでやり直さなければならない。

■高齢者の資産をどう成長分野に振り向けるか

 もちろん金融も、である。
 今は「高齢者の金融資産」問題というと、オレオレ詐欺からどうやって守るか、遺産相続で揉めないためにどうするか、といった後ろ向きの話が多くなる。
 しかし「1700兆円」もの国民金融資産のうち、3分の2は高齢者が保有しているといわれている。
 そのうちかなりの部分が、銀行預金に滞留していることは想像に難くない。

 いや、もちろん高齢者に過度なリスクをとらせるべきではあるまい。
 しかるに日本経済が、なかなかデフレから抜け出せない理由の一つがここにありそうだ。
 この資金をどうやって成長分野に振り向けていけばいいのか。
 高齢化時代の投資はどうあるべきなのか。
 いやはや、大テーマというべきではないだろうか。

 え?いくら連休中だといえ、暢気すぎる話題なんじゃないかって? 
 確かに今週は、緊迫する北朝鮮情勢からトランプ政権100日目、週明けに控えるフランスおよび韓国大統領選挙まで、地政学リスク満載の時期である。
 ご不満な読者は是非、KADOKAWAから出版された『トランプは市場に何をもたらすか!?』をご一読いただきたい 。
 竹中平蔵、宮家邦彦の両氏と不肖かんべえの3人が、トランプ政権下の国際情勢と投資の在り方を論じている。
 外為どっとコム主催の人気セミナーに新たな情報を加筆しているので、恥ずかしながら若干の宣伝まで 。

 最後はいつもの競馬コーナーである。
 週末のNHKマイルカップは、別名を「NHK参る」と呼ばれるほどに予想が難しい。
 裏を返せば、高配当が出やすいレースとして知られている。
 2007年には、3連単で973万9870円という大波乱が起きたくらいだ。
 ここは性根を入れて穴狙いと行きたいものである。

 今年は特に頭抜けた存在が見当たらない。
 桜花賞4着の牝馬カラクレナイが1番人気に推されるほどの混戦模様。
 筆者が前回、推奨したアウトライアーズも出走するが、皐月賞を12着で惨敗したことを思うとちょっと手が出ない。
 やはり、その名の通りの異常値(Outlier)であったと見るべきか。

■NHKマイルはジョーストリクトリを軸に一攫千金だ

 そこで着目したのが、ニュージーランドトロフィー1着のジョーストリクトリだ。
 同レースはNHKマイルのトライアルなので、ここから入るのは定跡と言ってもいいくいだが、低人気なのがかえってありがたい。
 しかもその父は、2009年に10番人気でNHKマイルを制したジョーカプチーノじゃないか。
 種牡馬になって日は浅いが、今のところ打率は悪くない。
 親子制覇という夢があり、しかも鞍上の武豊騎手は今春好調ときている。

 そこで狙いはジョーストリクトリを軸にした三連複。
 流す相手はカラクレナイ、モンドキャンノ、アウトライアーズ、ミスエルテあたり。
 あと1頭はパドックを見てから決めることにしよう。
 ちなみに昨年、ワシはこのレースの三連複でメジャーエンブレムからの5頭流しで万馬券をゲットしておる。
 今年も目指すぞ、一攫千金。



サーチナニュース 2017-05-10 11:12
http://news.searchina.net/id/1635359?page=1

日本人だけじゃない! 
中国人も「子どもを産みたがらなくなっている」

 人口の減少は経済規模の縮小に直結する問題だ。
  日本では少子化が長年にわたって問題視されているが、13億以上の人口を抱える中国においても近年見られる出生率の低迷が様々な分野に悪影響を及ぼす可能性があるとして、懸念の声があがっている。

 中国メディアの捜狐はこのほど、「中国人がだんだん子どもを産みたがらなくなっている」という記事を掲載し、出生率の低下ならびに人口の減少は中国が最も強みとする
 「規模の経済」を喪失させる可能性があると警鐘を鳴らした。

 記事は、インターネット関連の企業を例に、
 「人口が少ない国では世界に通用するネット関連企業は生まれにくい」
とし、米国から世界に通用するネット関連企業が絶えず生まれるのは、世界中に英語を理解できる人がいるためであり、つまり世界が市場になるからだと指摘。
 同様に、中国のネット関連企業も中国語を理解する人が対象となるゆえに、莫大な人口を抱える中国でビジネスを展開することは、そのまま規模の経済を享受できることを意味すると論じた。

 一方、日本は人口が1億2000万人ほどしかいないため、日本語だけのサービスではどれだけ圧倒的なシェアを獲得してもすぐに頭打ちになってしまうと指摘。
 また人口が多ければ、比較的に容易に優秀なプログラマーやエンジニアを確保でき、巨大なマーケットから得られる情報も豊富にあるとし、
 中国の「人口の多さ」はビジネスや企業に有利に働き、世界の競争に参入するうえでの基礎になっていることを伝えた。

 しかし統計が示すように、中国では第二子の出産が解禁となっても出生率は思ったように伸びていないと指摘。
 都市部でも農村部でも、中国人女性は子どもを産みたがらなくなっているとし、日本も人口減少や高齢化の問題を抱えているが、記事は
 「中国はまだ日本ほどの発展を享受していないというのに、すでに労働人口の減少が始まっている」
と指摘し、このまま少子高齢化が進展すれば中国には「恐ろしい将来が待っているかもしれない」と警鐘を鳴らした。

 一方、記事には中国人ネットユーザーから多くのコメントが寄せられており、
 「子をたくさん産めば教育費や住宅の負担も生じてくる」、
 「収入は増えないのに住宅価格は高騰している。
 普通の給与所得者はどうやって生きていけばいいのか」
といった声が見られ、中国の普通の人びとにとっては、子どもは1人育てるのも精一杯という現状が垣間見えた。



東洋経済オンライン 2017年05月30日 岡本 純子 
http://toyokeizai.net/articles/-/173790

日本の高齢者が不平不満を抱える根本原因
「人生=仕事」という日本ゆえの悲劇だ

 前回の記事
日本の高齢者は、なぜこうも『不機嫌』なのか」 「http://toyokeizai.net/articles/-/171469
には、たくさんの反響の声をいただいた。
 以下はそのうちの一部だ。

・長年「滅私奉公」で働いてきた人が、いきなり用済みにされ「私」に放り出され、行き場がなくなる。
・日本人はすべてを仕事に振りすぎている。
 だからリタイア後に不安定になったり、無気力になる高齢者が多いのだろう。
・若者は年金も減り(もらえるかもわからないが)、高齢者からはきつく当たられる。
 若者も不機嫌である。
 互いに不機嫌である今の社会では、互いを思いやる余裕がない。
・封建制度とか、男尊女卑とかの概念がまだ日本人の中に根強くある。
 その中で苦しんだ年配の特に女性が怒っていて、パートナーである男性にも冷たくしてしまう。
・高齢者に限らず日本全体がピリピリしてる。
 言いたいことも言えない、やりたいこともできない、
 周りに合わせるばっかりで自分を見失う。
 そのうえ、長時間労働やストレスフルな労働環境で疲弊している。

■閉塞感は加速度的に深刻化していく可能性

 誰もが身近で喫緊の問題としてとらえていることが伝わってくる。
 実際にキレる高齢者に遭遇し、不快な思いをした経験を語る方の声が多く、この問題が幅広い年代の人々の心に影を落とし、日本社会にきしみをもたらしていることがうかがえた。
 問題の根は深く、少子高齢化が進む中で、この圧迫感、閉塞感は加速度的に深刻化していく可能性がある。

 その背景にあるのは、世界の中でも日本の高齢者はとりわけ、幸福実感が低いということだ。
 日本の高齢者の「幸福観」ははたして特殊なのだろうか。
 そこに解決策はあるのか。
 幸福経済学の専門家で『幸福の計算式』の著者であるイギリス・ウォーウィック大学のニック・ポータヴィー教授に話を聞いた。

――日本の高齢者は特に幸福感が低いというデータが出ているが。
 世界の調査統計で確認したところ、日本人の場合、最も不幸、つまり怒りに満ち、
 人生に満足していないのは、65~75歳の年代グループという結果だった。
 人の幸福感はほとんどの国において、通常、30代から下降線をたどり、40代で底を打ち、50代からまた盛り返すU字型カーブになっている。
 だから、苦悩する40代の人々を形容して「ミッドライフクライシス」(中年の危機)という言葉もあるほどだ。

 一方で、日本では最も幸せなのは25歳以下の年代で、その後は一貫して下がり続けるL字型カーブ。
 75歳を過ぎて若干、幸福感は上昇するが、それほど大きなものではない。
 歳を取るほど、不幸になる。
 こうした状況は世界の中でも極めて特異のものといえ、
 日本では人生のクライシス(危機)は、中年より老年にやってくるということだ。

――一般的に、人は、高齢になると不機嫌になるということではないということか。
 なぜ、幸せはU字型になるのかといえば、われわれは歳を取れば、過度な期待をしなくなり、より賢くなり、現実を受け入れることができるようになる、と考えられているからだ。
 一方で、アジアでは「お年寄りは敬われるべき」といった社会的通念が強く、日本でも歳を取るにつれ、(年功序列などで)ステイタスを手に入れる構造になっており、「期待値」が下がりにくく、現実との乖離が生まれてしまっているのかもしれない。

■期待値が高いから不幸に感じる

――期待値が高いことが不幸感につながっていると。
 幸福は「現実」と「期待値」との乖離により大きく影響を受ける。
 その幅が小さいほど、幸せになりやすい。
 西洋では「歳を取れば、若者から敬われるべき」などといった通念はなく、そういったことは期待していない。
 しかし、日本の高齢者は、長い間、一生懸命働いてきて、それがまだ報われていないという気持ちが強いのではないか。
 収入や金銭的な心配や不安が彼らの不幸感の源泉とは言い切れない。
 特に収入に問題がない人でも、歳を取るほど、不幸に感じるという傾向があるからだ。

――収入と幸福には相関関係はあるか。
 もちろん、おカネがある人のほうがない人より、幸せを感じやすいという傾向はある。
 しかし、たとえばある国の国民の収入が過去に比べて総体的に上がったからといって、その国民がより幸せになったと感じているかといえば、そういうことにはならない。
 また、その国のトップ1%の金持ちだとしても、自分をトップ0.1%の人と比較して、不幸に感じる人もいる。
 つまり、幸福感や満足度は、どれぐらい期待値を上げ、それがどれぐらい満たされるかによって、変わってくるのだ。

――幸福の決め手、幸福感に影響を与える因子とは何か。
 健康や金銭的な充足度など幸福に影響を与える要因はいろいろとあるが、最も大きな決め手となるのが、その人の社会的な関係性だ。
 孤独は健康面にも支障を来し、幸福感に大きなダメージを与える。
 特に関係性の中で、日本が西洋の国と大きく異なるのは、たとえばアメリカやイギリスのような個人主義の国では、歳を取って子供と一緒に住むことを期待していない、ということだ。
 だから、定年後は高齢者向けのホームなどに移り住み、その中で自分が好きなことをして暮らしていく、という人も多い。
 アジア、日本においては、やはり、家族主義なところがあり、家族に面倒を見てもらいたいという期待値が高い。
 しかし、それがかなわない場合、そのセーフティネットとなるコミュニティのようなものがあまりないために、孤独に陥りやすい。

 特に日本では、現役時代に世界の中でも最も長い労働時間に耐え続けた人たちは、そういったコミュニティを探したり、つくる暇もなく過ごしてきた。
 退職したら、もっと報われるはず、とずっと我慢して働き続けても、結局、願ったとおりにはならず、期待値と現実の差に打ちのめされてしまう。

 最近、ネットフリックスで「侍グルメ」という日本の番組を見たが、ひたすら働き続けてきた男性が退職し、何をしていいのかわからない、という前提の話だった。
 いろいろと食べ歩きをするが、彼はずっと1人。
 友達もネットワークもない。
 まさにそういう人が日本には多いのだろう。
 「人生=仕事」という日本ゆえの悲劇ではないか。

■失業が与える傷は男性のほうが女性の2倍深い

――人生における仕事の比率があまりにも高いということか。
 そもそも、人はどのような経験に対しても「慣れ」によって、順応性を身に付けていくことができる。
 この特性によって、たとえば、「離婚」などといった経験から比較的早く立ち直ることができる。
 しかし、「失業」と「通勤時間」にはなかなか順応できない。
 どんなに時が経っても、そのストレスや不快感を受容していくのが難しい。
 なぜなら、失業期間中は、時間がたくさんあり、おカネがあまりなく、ほかにすることもない状態で、気を紛らわせることができない。
 こうした負の考えにずっと付きまとわれてしまうのだ。
 これは通勤時間中も同じことだ。

 また、失業が与える傷は男性が女性の2倍ほどであることわかっている。
 「失業」は誰にとっても痛手だが、「仕事」の比重が非常に高い日本のサラリーマンの場合は特にそのメンタルダメージがとても強いということなのだろう。

――何か解決策はあるのか。
 特に個人主義的な西洋に比べて、アジアでは家族や地域など同一グループ内でのつながりを重視するが、そういった社会の場合、そのグループや家族のほかにつながりを作っていこうとせず、「閉鎖的」になりがちだ。
 個人主義的な社会では、自らの独立性を保ちながらも何かあれば、外部のセーフティネット(たとえば、フロリダの高齢者ホームに移り住むなど)に頼ることをいとわない。
 日本においても、もっとオープンなネットワークやコミュニティのあり方を考える価値はある。

 また、人生において、その満足感に大きく影響するのが「生きる目的」である。
 仕事という目的を失った人たちが新たに「生きがい」を見いだせるような仕組みがあればいいと思う。
 それは国や文化、そして個々人で違うものだが、その解が出しやすくなるように社会として取り組んでいく必要があるかもしれない。






三遊亭円歌・中沢家の人々


●【落語】三遊亭圓歌「中沢家の人々」(1992年)


●三代目三遊亭圓歌 - 中沢家の人々










0 件のコメント:

コメントを投稿